近代の軍艦史  軍事、兵器  TOPページ    
         
         
回天丸   
         
         
   
         
 1866年長崎奉行所は長崎湾警備の為にイギリスより木造外輪コルベット級艦(軽巡クラス)であるイーグル号を購入します、このイーグル号は元々プロシア海軍が1855年にイギリスへ建造を依頼した軍艦ダンツィヒ号で艦歴を経た故にイギリスへ売却され改造なされました、長崎に到着した時点で「回天丸」と改名され幕府海軍の主要な軍艦となります、回天丸はかなりの老朽艦でしたが非常に完成度が高い艦であり、当艦が撃沈された箱館戦争に至るまで特に大きな問題も故障も無かったそうです。   

 
         
回天丸の規模と推進設備   
         
   
 回天丸の基準排水量は1600t、全長は69mと幕府海軍所属の軍艦の中で開揚丸に次ぐ大きさです、 推進は主に3本のマスト、蒸気機関は補助として使われています、速力は不明ですが蒸気機関で400hpを発揮、この規模の軍艦としてはかなりの高出力です。  
   
 しかし外輪機関は既に時代遅れ各国海軍はスクリュー推進機関の軍艦を揃えていました、更に1860年フランスで本格的な装甲艦「ラ・グロワール」が完成すとイギリス、プロシア、フランスなどの各海軍保有国は大型装甲艦の建造に着手します、そのため回天丸の様な非装甲の外輪艦では日本国内での海戦ならまだしも列強国海軍との海戦においては略戦力となりえなかったでしょう。   
   

 
         
回天丸の艦載砲   
         
   
(艦首甲板上に並べられた40ポンド砲6門)   
         
 回天丸に搭載されていた砲は40ポンド砲が甲板上の両弦側に5門づつの合計10門(異説もあり)と50ポンド砲1門でした、40ポンド砲は艦首に6門がまとめられ艦尾に4門がまとめられています。   
   
(艦尾側に配置された40ポンド砲4門)   
         
 50ポンド砲は艦首側の甲板上に1門前向きで固定されていた様で謂わばこの50ポンド砲が回天丸の主砲であったのでしょう。   
   
(50ポンド砲)   

 
         
戊辰戦争での回天丸   
         
 就役後、回天丸は第二次長州征伐に参加し長州藩の砲台などを砲撃しています、回天丸就役後の当初の乗組員は長崎奉行所により決められたと言います、戊辰戦争勃発により1868年4月11日、江戸城が無血開城すると新政府軍は幕府が所有する軍艦の引渡しを要求、しかし幕府海軍副総裁「榎本武揚」は此れを断固反対し回天丸、開揚丸、蟠竜丸、千代田丸の4隻はそのまま残される事となりました。10月4日(旧暦8月19日)、開揚丸を旗艦とする榎本艦隊4隻は旧幕府軍の残党を乗せ品川沖を出ます。品川沖から艦隊は松島湾に寄港し土方歳三ら旧幕府軍の兵2500人を収容し蝦夷地へと向かいます、この時点で回天丸の艦長は旧幕臣の甲賀源吾が就任していました。榎本率いる旧幕府軍は箱館を占領し蝦夷共和国を樹立します、しかし旧幕府艦隊の主力艦開揚丸が江差沖で座礁沈没、旧幕府海軍は最大の戦力を失いました、そこで旧幕府軍は奥州宮古湾(岩手県宮古市)に停泊中の新政府艦隊主力艦「甲鉄」を奪い取る作戦を実行します、甲鉄は唯一の装甲艦でその火力及び防御力は開揚丸を上回るとされ成功すれば旧幕府艦隊は海上戦において圧倒的優位にたてます。
 1869年3月21日、回天丸、蟠竜丸、高雄丸の3隻の軍艦は箱館を出港し宮古湾へ向かいます、途中高雄丸が暴風雨の為にはぐれ、回天丸、蟠竜丸2隻による作戦決行となります、まず回天丸がアメリカ国旗を掲げ宮古湾に侵入、回天丸に乗船するのは艦長の甲賀源吾、海軍奉行「荒井郁之助」そして切り込み隊として土方歳三以下新撰組隊士、彰義隊の面々です、回天丸がアメリカ国旗を掲げていた事から新政府艦隊は特に警戒をしていません、そこで回天丸は目標の甲鉄に接近するとアメリカ国旗を日章旗にかえて艦首から甲鉄の弦側に激突させます、回天丸は少し乗り上げた状態となり切り込み隊が次々甲鉄に飛び降りて白兵戦が展開されました、新政府軍は甲鉄に搭載されていたガトリング機銃で応戦、更に春日丸などの新政府艦隊から回天丸は集中砲火を浴びせられます、その為回天丸は退却を余儀なくされ後退し蝦夷へと敗走しました。この時艦長の甲賀源吾が戦死します、また春日丸には後の連合艦隊司令長官「東郷平八郎」が乗船していました。 
 
   
 1869年5月、回天丸は艦隊旗艦として箱館湾の海戦におもむきます、この時回天丸は前回取り逃がした装甲艦甲鉄より激しい放火を受けて機関を破損、なんとか海岸近くの浅瀬に乗り上げ砲台として戦闘を続けています、しかし新政府軍が箱館市内へ侵入すると回天丸は放火され略全焼してしまいます。   
   

 
         
回天丸   
         
 基準排水量  1600t  兵装    
 全長  69m  40ポンド砲  10門  
 最大幅  10.6m  50ポンド砲  1門  
         
 推進設備    1855年進水    
 マスト  3本  1865年日本で就役    
 外輪式蒸気機関    1869年炎上消失    
 最大出力  400hp      

 
         
近代の軍艦史  軍事、兵器  TOPページ