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ドイツ海軍初のタービン機関を搭載した弩級艦、アンシュロン式砲塔配置及び背負い式配置により攻撃力を最大強化。 | ||||
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弩級戦艦カイザーの建造とその外装 | ||||
ドイツ海軍初の弩級戦艦ナッサウの建造が開始された頃にはドイツ海軍は主力戦艦と言うべき前弩級艦を既に24隻も保有もしくは建造中でした、しかしイギリスが弩級戦艦ドレッドノートを登場させる事で状況は一変します、この事でドイツ海軍はイギリス海軍に大幅な遅れを取ったかに思われましたが此処でドイツは状況を冷静に判断、急いでにわか作りの弩級艦を建造するより優れた弩級戦艦を数多く建造する事に着手します、それにより港湾、造船所、運河などを拡張し弩級艦を建造する為の環境作りからはじめたのです、その事が効して短期間でナッサウ級4隻、ヘルゴランド級4隻、カイザー級5隻の合計13隻もの弩級戦艦を建造する事ができたのです。 ドイツ海軍3番手の弩級艦カイザー級の大きさは基準排水量24700t、全長172,4m、最大幅29mで同じ年に就役したイギリスの弩級艦コロッサス20200tより一回り大きく此処にドイツの造船技術の飛躍的な進歩が見られます。 |
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タービン機関を採用 | ||||
カイザー級戦艦はドイツ海軍初の蒸気タービン機関が各艦に搭載される事となります、前主力戦艦ヘルコランドまでは一環してレシプロ式(往復機関)を採用していましたが高性能なタービン機関が国産で製造される事で搭載されたのです、しかしドイツ海軍はタービン機関の搭載には以前慎重でカイザーをはじめ各同型艦4隻共々異なった方式のタービン機関が搭載されます、此れは如何なる方式が最も優れているかを試す為です。カイザーにはバーソンズ式直結タービン3基3軸推進式が搭載され最大速力23.5ノット、最大出力31000hpを引き出します、この方式が後々ドイツ戦艦の基準機関となります。 | ||||
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カイザーの兵装 | ||||
戦艦カイザーには50口径30.5cm連装砲塔を5基(10門)配備されていました、その配置は艦首に1基、艦尾に背負い式砲塔配置で2基、両弦側に左右互い違いのアンシュロン式砲塔配で1基づつです。 | ||||
(艦尾の背負い式砲塔配置) | (艦尾方向へ向けられた主砲8門) | |||
アンシュロン式砲塔配置と背負い式配置はイギリス戦艦ネプチューンを真似たものです、この10門5基の配置により艦尾方向へ8門、艦首方向へ6門、側面には10門全ての30.5cm砲が向けられるます、しかし側面の砲撃の際、砲撃方向の反対側に配置された砲塔は艦上構造物により射撃方角には制限がありました。 | ||||
(艦首方向へ向けられた主砲6門) | ||||
この50口径30.5cm砲の性能ですが当初仰角13.5度で重量405kgの砲弾を16200mまで飛ばせました、その後の改装で仰角が20度まで引き上げられ射程も20500mまで伸びています、発射間隔は1分間に2~3発と巨大砲の割りに比較的早い間隔で発砲できます、総じてイギリス海軍の弩級艦と十分に張り合える火力と言えるでしょう。 | ||||
(側面に向けられた主砲10門) | ||||
副砲は従来通りの45口径15,2cm砲で重量45kgの砲弾を15000mまで飛ばせました、その副砲の配置は両弦側に7門づつ合計14門でカイザー級からは荒波時の射撃に考慮して甲板上の側面に配置されました。更に対駆逐艦用に45口径88mm砲が8門装備されています、前主力艦のヘルコランド級14門の装備と比較すると大幅に減らされています、88mm砲では非力な為に駆逐艦の粉砕には15.2cm砲を使用する事を想定したのでしょう。 | ||||
(甲板上の側面に配置された副砲7門) | ||||
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カイザーの艦歴 | ||||
戦艦カイザーは1909年12月に起工、1912年8月に就役、続いて同型艦の「カイゼリン」、「フリードリヒ・デア・グローセ」、「フリードリヒ・デア・グローセ」、「ケーニヒ・アルベルト」、「プリンツレゲント・ルイトポル」トの4隻が完成、これでカイザー級は5隻となります。 1913年12月にカイザーは同型艦「ケーニヒ・アルベルト」と共へ南米へテスト航海に出港、艦の耐久性とタービン機関の性能を試す為でした、レシプロ機関に代わり採用されたタービン機関は長時間の安定した高速走行も可能で耐久性においてはレシプロ機関以上であると結論が出たそうです。 |
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第一次大戦勃発後の1916年カイザーは第3戦隊第6小隊の旗艦となります、ユトランド沖海戦では装甲艦ディフェンスを撃沈するもイギリス艦隊の弩級艦エジンコートの直撃弾を2発喰らい負傷しながら主力艦同士の砲撃戦を展開しています。1917年には第4戦隊に所属、第2次ヘルゴラント・バイトの海戦に参戦、ドイツ帝国が大戦に敗北すると他の同型艦と共にスカバ・フローに係留され1919年6月に自沈されました。 | ||||
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基準排水量 | 24700t | 兵装 | ||
全長 | 172.4m | 50口径30,5cm連装砲塔 | 5基(10門) | |
最大幅 | 29m | 45口径15,2cm砲 | 14門 | |
45口径88mm砲 | 8門 | |||
機関 | バーソンズ式直結タービン3基3軸推進式 | 50cm水中魚雷発射管 | 5門 | |
最大速力 | 23,5ノット | |||
最大出力 | 31000hp | 1909年12月起工 | ||
1911年3月進水 | ||||
装甲厚 | 1912年8月就役 | |||
水線中央部 | 最大350mm | 1919年6月自沈 | ||
甲板部 | 60mm | |||
砲塔部 | 最大300mm | |||
バーベット部 | 300mm | |||
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