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1910年ドイツ帝国は巡洋戦艦フォンデアターンを完成させます、続いて1911年、12年にフォンデアターンの改良型であるモルトケ級巡洋戦艦「モルトケ」、「ケーベン」の2隻が完成、更に1913年にはモルトケ級の装甲、機関を強化したサイドリッツを就役させました、巡洋戦艦サイドリッツは所謂フォンデアターンからの拡張改良型でその最終型のです。 |
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巡洋戦艦サイドリッツの規模、機関、装甲 |
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サイドリッツの基準排水量は24600t、前年に就役したカイザー級弩級戦艦と略同じです、全長は200m、最大幅28.5mと全体的に巡洋戦艦らしくホッソリとした船体でした。 |
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機関部はモルトケ級の石炭専焼ボイラーから重油、石炭混合焼ボイラーへと変更し最大出力63000hp、最大速力26.5ノットまで発揮できます。 |
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装甲の厚さは弦側の水線部と主砲塔前面が主に強化され水線部で最大300mm、主砲塔前面で250mmと略弩級戦艦並みの厚さまで強化されました。甲板部は最大50mm、バーベット部は230mmと前級と略同じです。 |
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サイドリッツの主砲 |
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(艦首45口径28cm連装砲塔) |
(艦尾45口径28cm連装砲塔2基) |
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主砲は前級モルトケからの引続きで45口径28cm砲を採用、それを連装砲塔5基に収めた10門の配備です。主砲塔の配置もモルトケ級と同じで艦首甲板上中央に1基、船体の中央の2基の砲塔(2番、3番砲塔)は左右互い違いに配置したアンエシュロン式の砲塔配置として艦尾2基を背負い式の配置としています。 |
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(アンエシェロン砲塔配置の2番、3番主砲塔) |
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この配置により艦首方向へ6門、艦尾方向へ8門の28cm砲が向けられ弦側においては10門すべての主砲が向けられる事になります。 |
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(左舷方向へ向けられた10門の主砲) |
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サイドリッツの副砲 |
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(左舷船体側面に配置された45口径15cm砲6門) |
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副砲もまたモルトケ級と同じ45口径15cmでこれを両弦側船体側面に放射状配置しています、更に対水雷艇用の45口径88mm砲が12門配備されています(これもモルトケ級と同じ)、この様にサイドリッツの兵装は前級モルトケと略同様と考えていいでしょう。 |
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(艦尾側の45口径88mm砲) |
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強固な船体 |
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ドイツ帝国の巡洋戦艦とイギリスの巡洋戦艦はその設計思想が異なります。イギリスの巡洋戦艦は機動性、攻撃力を重視して防御力(装甲)を軽減させています、謂わば速力を最大の防御としていました、しかしドイツの巡洋戦艦は機動性、攻撃力、装甲のバランスを考えた設計と成っていました、その違いは実戦で証明されています。
第一次大戦勃発後の1915年1月24日サイドリッツはドッガー、バンク海戦でイギリスの巡洋戦艦ライオンから放たれた34.3cm砲弾を艦首楼と艦尾5番砲塔にを受けます、それにより5番砲塔は炎上し弾薬庫に引火、となりの4番砲塔も炎上します、この時、水兵160人が死傷しましたがここからサイドリッツは反撃、ライオンに主砲弾2発を命中させました、ライオンは船体を大きく傾かせ戦闘不能となります。 |
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サイドリッツは1916年5月31日ユトランド沖海戦に参戦、イギリス巡洋戦艦「クイーンメリー」との砲撃戦を展開中に4発の命中弾を受けますがドイツ海軍巡洋戦艦デアフリンガーと共同で反撃、クイーンメリーを爆沈させます。その後サイドリッツはイギリス第五艦隊から多数の直撃弾を受けて炎上、更にイギリス駆逐艦が放った魚雷が艦首に直撃、船体は前のめりに傾きました、しかしこの時も大破となったものの無事に帰還する事ができたのです、ユトランド沖海戦でサイドリッツを直撃した主砲弾は21発、更に魚雷1発を受けながら生き延びられた事でドイツ海軍の巡洋戦艦がいかに強固であるかわかります。 |
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巡洋戦艦サイドリッツ |
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基準排水量 |
24594t |
兵装 |
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全長 |
200.5m |
45口径28cm連装砲塔 |
5基(計10門) |
最大幅 |
28.5m |
45口径15cm砲 |
12門 |
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45口径88mm砲 |
12門 |
機関 |
石炭、重油混合焼ボイラー27基、高速、低速タービン機関計4基、4軸推進 |
50cm水中魚雷発射管 |
4基 |
最大速力 |
26.5ノット |
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最大出力 |
63000hp |
1911年2月起工 |
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1912年3月進水 |
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装甲厚 |
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1913年5月就役 |
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弦側水線部 |
最大300mm |
1919年6月21日自沈 |
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甲板部 |
最大50mm |
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主砲塔 |
前面250mm |
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バーベット部 |
230mm |
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