近代の軍艦史  軍事、兵器  日本海軍  TOPページ  
         
         
戦艦伊勢   
         
         
   
 (1917年)  
         
 1917年(大正4年)12月、ヨーロッパでは第一次大戦の真只中、戦艦伊勢が就役します、戦艦伊勢は基準排水量29900t、全長208m、最大幅28,7mで主砲は前級「扶桑」と同じ45口径35.6cmを12門、最大速力は23ノットまでに達しています。   

 
         
戦艦伊勢の建造   
         
   
 当初戦艦伊勢は前級「扶桑型」の3番艦として計画されましたが扶桑型には幾つかの問題点があり、それらを解消するべく扶桑型の改良艦として新たに設計された艦です。  
   
 まず扶桑型の最大の問題点であった主砲35.6cm砲の発砲時の爆風による艦の振動などの問題ですが、これは艦中央の3番、4番主砲塔を背負い式に配置する事により重心を船体中央に集中させ艦の安定を保ちます、次に防御の面については装甲自体は扶桑型と略同等でしたが危険視されていた2つの弾薬庫に挟まれていたボイラー室に関して上記3番、4番砲塔を背負い式に配置する事で十分なスペースを確保し、きちんとまとまった配置に造り返れています。しかし船体自体はあまり大きさは変わらず乗員の増加により居住性はかなり悪かったそうです。   
   
 機関は1番艦伊勢と2番艦日向とでそれぞれ異なる物を搭載しています、戦艦伊勢はブラウン・カーチス式直結タービン、日向はバーソンズ式を採用、共に最大速力23ノット、最大出力45000hpに達しています。   

 
         
45口径35.6cm連装主砲塔   
         
   
 主砲は前級と同じ45口径35.6cm連装砲塔6基(12門)です、艦首(1番、2番砲塔)、中央(3番、4番砲塔)、艦尾(5番、6番砲塔)はそれぞれ背負い式に配置され艦首に向けて4門、艦尾にも4門。側面には12門もの砲口が向けられます。   
   
(艦首に向けられた主砲4門)   (艦尾に向けられた主砲主砲4門)  
         
 前級より変更されたのは砲塔です、扶桑型では主砲の仰角設定は5度づつ固定されていましたが、伊勢型においては自由設定となります、此れにより砲身の上下角度の設定の微調整が可能となりました、また1分間あたりの砲弾発射数も2発にまで引き上げられています、その為、弦側に全砲12門を向けた場合には1分間に24発もの砲弾が発射できる事になります。   
   
(艦中央の3番、4番砲塔)   
         
 しかしイギリスは伊勢が完成する以前の1915年には45口径35.6cm砲の射程、威力を上回る42口径38.1cm砲8門搭載したクイーンエリザベス級を竣工させました、その為、この38.1cm砲もしくはそれと同等の砲を各国海軍が後々艦載するに至り、従来の扶桑型と同じ装甲では不十分、主砲の性能に関しても1ランク劣る事になります。この時代の流れに日本海軍は次期主力艦の長門の完成に期待をかけたのです。  
   
(側面に向けられた主砲12門)   

 
         
14cm副砲20門   
         
   
 戦艦伊勢は対駆逐艦用の50口径14cm砲を両甲板側面に9門、両甲板上部に1門の合計20門配置されています、扶桑型の15、2cmより多少威力は劣りますが軽量な砲弾は速射性に優れ、1分間に平均8発の発射が可能であり、射程距離は15800m、当時の駆逐艦相手には此れで十分、対軽巡洋艦などに効果があったと考えられます。更に片側計10門の配備により側面魚雷攻撃の為に近づく敵駆逐艦は14cm砲弾をメチャクチャ食らう事となります、まさに駆逐艦キラー。日本海軍は日露の海戦で駆逐艦を効果的に実戦で使用したので、その脅威性を十分承知していたのです。   

 
         
戦艦伊勢の改装   
         
 1917年12月戦艦伊勢が完成、翌年1月には姉妹艦日向も完成しました、完成後、伊勢、日向は幾度も改装がなされています、此れは以前から指摘されていた装甲の問題点など1916年のユトランド沖海戦から得た教訓を元に実施されています、主な改装点として主砲仰角を25度から30度に引け上げにより射程距離延長、艦橋部の近代化、40口径7.62cm高射砲から40口径12.7cm高射砲への変更、39口径40mm機関砲の設置、水上機用のカタパルトを5番砲塔上部に設置しています。また1930年代には更なる大改装が行われ主砲仰角を30度から最大43度として射程距離を35000mまで延長、副砲も同様に仰角引き上げにより射程を19100mまで延長、主砲塔天井部の装甲強化、バルジ設置により側面水線防御と水中防御(魚雷攻撃からの防御)の強化、ボイラーを石炭、重油混焼缶から重油專焼缶への変更により最大速力を25ノットまで向上させています、これら改装により戦艦伊勢は近代戦艦へと生まれ代わったのです。  

 
         
世界初の戦艦空母への改装   
         
 1942年6月太平洋戦争の最中、ミッドウェー海戦で日本海軍は4隻もの主力空母失います、その為急遽、既存の戦艦を空母へ改装する案が出されます、当初戦艦においては金剛型、扶桑型、伊勢型などを改装する予定でしたが伊勢型2隻に絞られています、丁度2番艦日向が爆発事故で5番砲塔を失っている事から改装に適していると判断されたのです、しかし甲板上の構造物を一切撤去して真平なカタパルトにするには費用、時間を相当費やす為に後方5番、6番砲塔を撤去した戦艦空母への改装となります。  
   
(戦艦空母に改装された伊勢)   
         
 戦艦空母伊勢には瑞雲水上偵察機14機、彗星艦上爆撃機8機、日向には瑞雲8機、彗星14機を搭載する予定でしたが両機の生産の遅れにより最初の出撃であるエンガノ岬海戦では艦載機無しの戦艦として出撃、米航空機を多数撃墜しています、此れは改装に伴い対空砲を多数設置した事によるものです。その後1944年10月のレイテ沖海戦においても伊勢は艦載機無しで出撃し弾幕射撃で米航空機を30~70機撃墜しています、海戦後に呉軍港へ戻り船体修理が行なわれ同時に航空機の射出機が撤去され空母としての機能が取り除かれました、戦艦空母の構想は失敗であったようです。
 1945年7月呉軍港外に停泊中の伊勢に米爆撃機が二度に渡り爆撃を開始、伊勢は大破、船体着低し機能不能となり、そのまま終戦を迎えました。 
 

 
         
 1917年戦艦伊勢  
         
 基準排水量  29900t  兵装    
 全長  208m  45口径35.6cm連装砲塔  6基(12門)  
 最大幅  28.7m  50口径14cm砲  20門  
     40口径76.2mm高射砲  4門  
 機関  ブラウン・カーチス式直結蒸気タービン2基4軸  53.3cm水中魚雷発射管  6基  
 最大速力  23ノット      
 最大出力  45000hp  1915年5月起工    
     1916年11月進水    
 装甲厚    1917年12月就役    
 弦側  最大305mm  1945年7月呉にて大破着低、終戦後解体    
 甲板  30mm~65mm      
 砲塔部  305mm      
 バーベット部  292mm      

 
         
近代の軍艦史  軍事、兵器  日本海軍  TOPページ