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巡洋戦艦金剛   
         
         
   
 (金剛1913)  
         
 1906年イギリスの弩級戦艦ドレッドノートの完成により帝國海軍はドレッドノート級もしくはそれ以上の強力な火力を持つ弩級戦艦の時代が到来した事を予見し、建艦10年以内の弩級戦艦8隻及び装甲巡洋艦8隻を常時保有すると言う八八艦隊計画を立案します、この計画は戦艦の建造を国内で行う事が前提でありその第一弾として30,5cm砲を10門装備、蒸気タービンによる推進機関を有した戦艦「河内」が起工されました、しかしこの河内が完成される以前からイギリスをはじめとする列強諸国は河内を上回る戦艦を次々に完成させ、河内の完成時には既に旧式艦と成っていたのです、そこで帝國海軍は日本の建艦技術の遅れを自覚、取り合えず河内に次ぐ主力艦の建造を建艦技術の習得をかねてイギリスに以来しました。
 その発注にあたり日本海軍が注目したのは戦艦インヴィンシブルの様な戦艦並みの攻撃力を誇り、尚且つ巡洋艦並みの高速性を持つ巡洋戦艦です、そこで発注されたのが巡洋戦艦金剛型でした。 
 

 
         
金剛型の建造   
         
   
 巡洋戦艦金剛は1911年1月イギリスのヴィッカース造船所で建造が始まります、それに続いて同年11月横須賀海軍工廠で姉妹艦「比叡」が起工、更に翌年3月には同じく姉妹艦の「榛名」と「霧島」が神戸川崎造船所と三菱長崎造船所で起工されました、榛名と霧島に関しては日本で始めての民間造船所での戦艦建造です、当時イギリスと国内の造船所で姉妹艦4隻を同時建造する目的はイギリスの高い造船技術を獲得する意味もありました。   
   
 さてその巡洋戦艦金剛型ですが基準排水量26300t、全長214mと大きさ的には当時の戦艦の標準的大きさ、もしくはそれ以上でした、全長が214mあるので比較的細身の船体です、最大速力は2基の蒸気タービンにより27,5ノットまで引き出せます、此れは同時期のイギリス「ライオン級巡洋戦艦」を上回るもので略世界最速の戦艦とも言えるでしょう。更に金剛型の最大の魅力はその主砲で当時世界最大であった45口径35,6cm砲を8門装備した事です、同じ頃に超弩級戦艦として完成されたイギリス「戦艦オライオン」の34、3cmより一回り口径の大きい砲です、これらの点から総合的に金剛型巡洋戦艦は当時のいかなる弩級戦艦より優れた火力を有した超弩級高速戦艦であったのです。
 しかし攻撃力、速力を強化すればおのずと何かを削らなければ成りません、それはこの艦の装甲でした、金剛型の装甲は弦側で最大203mmしかありません、第一次大戦で装甲の薄いイギリス巡洋戦艦が容易い砲撃により撃沈されている事などから後々この装甲の薄さが問題視され改装時に補強されています。 
 
   

 
         
強化された兵装   
         
   
 金剛型戦艦に採用された45口径35,6cmは1920年に完成した38cm砲を持つイギリス巡洋戦艦フッドが登場するまで世界最大の艦載砲でした、金剛型はその世界最大の連装砲4基(8門)を艦尾から艦首に向けて直線状に配置し艦首、艦尾の2基づつ背負い式としています。   
   
 (背負い式に配置された45口径35.6cm連装砲塔)  (艦首方向へ向けられた35.6cm砲4門)  
         
 この配置により艦の前方に向けて主砲4門、後方にも同じく4門、最大攻撃対象となる弦側には8門全ての砲が向けられる事になります。   
   
(艦尾に向けられた主砲4門)  (副砲15、2cm砲)   
         
 副砲は50口径15,2cm砲を艦の弦側側面に8門づつ計16門装備されています、また竣工時には40口径76.2mm砲が12門装備されていました、更に艦首と艦尾に53,3cmの魚雷発射管が4基づつ計8基も装備されていたと言います(後の改装時に撤去)。  
   
(側面に向けれた35,6cm砲8門)   
         
 金剛型巡洋戦艦4隻は1915年には全て完成、完成当時に世界各海軍保有国はこれら4隻を世界最強の高速戦艦部隊と賞賛したそうです。  
   

 
         
二度に及ぶ大規模改装   
         
 第一次大戦終結後のワシントン条約(1922年)この条約により各国の主力艦の保有数は制限されます、その為日本海軍は次期主力艦の天城型巡洋戦艦4隻の内2隻の建造を断念し金剛型の改装に力を入れます。
 巡洋戦艦金剛は二度に渡る大改装がなされています、最初の改装は1924年~31年にかけてで主に以前から問題視されていた弦側水平、水中防御力の強化(装甲強化)、燃料の重油化、三番主砲塔交尾に偵察機3機搭載などでした。防御力強化に伴い排水量は増して最大速力が25ノットまで低下、その為、金剛型巡洋戦艦は戦艦へと艦級を変更されます。
 2度目の大改装は1935年~37年に行われ機関を変更し最大速力を30ノットまで引き上げます、此れは当時の戦艦としては画期的的なスピードです、更に主砲仰角を25度から43度へ変更し射程距離を33000kmとしています、これら二度の大改装により金剛は近代的戦艦に生まれ変わったのです。 
 

 
         
太平洋戦争と金剛の最後   
         
 太平洋戦争において改装された金剛は主力艦の長門型に次ぐ期待度の大きい戦艦でした、開戦直後の1941年12月金剛は榛名と共にイギリス東洋艦隊に対抗すべくマレーへ進出、1942年10月、同じく榛名と共にガダルカナルの米軍飛行場を砲撃、1944年10月にはレイテ沖海戦に参加しアメリカの護衛空母を砲撃しています、太平洋を舞台に奮闘を繰り返す金剛でしたが1944年11月21日台湾海峡でアメリカの潜水艦から発射された魚雷2発を受けて撃沈してしまいます、装甲も強化され魚雷2発は十分に耐えられる艦でしたが建艦以後30年以上経過していた事から艦の老朽化が原因であったと言われています。   

 
         
1913年竣工時の金剛データ   
         
 基準排水量  26300t  兵装    
 全長  214m  50口径35,6mm連装砲塔  4基(8門)  
 最大幅  28m  45口径15,2cm砲  16門  
     76,2mm砲  12門  
 機関  蒸気タービン2基4軸  53,3cm魚雷発射管  8基  
 最大速力  27.5ノット      
 最大出力  64000hp  1911年1月  起工  
     1912年5月  進水  
 装甲厚    1913年8月  竣工、就役  
 側面水平  203mm  1944年11月  台湾海峡にて沈没  
 甲板  70mm      

 
         
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