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熱海温泉は南紀白浜温泉、別府温泉と並ぶ日本三大温泉の一つで す、その歴史は古く大凡1500年前にさかのぼります、当時、海中より熱湯が噴出して魚が溺れ死ぬのを土地の人が発見したと云います、それ以後「熱い海」である事から「熱海」と呼ばれる様になったそうです。 | ||||||||
JR熱海駅 | ||||||||
(足湯、家康の湯) | ||||||||
熱海駅を降りると正面に「足湯、家康の湯」があります、1604年(慶長9年)に徳川家康が湯冶で熱海に7日間、滞在した事に因んだのでしょう、駅の西側は「平和通り商店街」、「仲店通り商店街」で「温泉饅頭」、「かまぼこ」など地元特産物が売られている所謂「御土産屋街」です。 | ||||||||
(仲店通り) | (平和通り) | |||||||
「平和通り」の正面に小さな蒸気機関車が飾られています、この機関車は熱海軽便鉄道の機関車で1907年(明治40年)から1923年(大正12年)まで小田原と熱海間の25kmを走行していました、全長3.3mの小振りな機関車で営業速度はわづか時速9.7kmであったそうです、関東大震災以後にこの熱海軽便鉄道は廃止されています。 | ||||||||
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熱海で人気の海鮮料理 | ||||||||
熱海で人気のグルメを少し見てみましょう。 | ||||||||
熱海茶漬け(干物ダイニングyoshi-魚-tei) | 海鮮しらす丼(食事処 衹園) | |||||||
干物ダイニングyoshi-魚-teiさんの熱海茶漬けが元祖熱海茶漬けと言います、焼き立ての鯵の干物を、胡麻をあえたご飯と刻み大葉と一緒にたべる茶漬けです。 | 食事処 祇園さんの海鮮しらす丼は生しらすとゆでしらす両方に加え、鮮魚を贅沢に食べられる丼。 | |||||||
金目丼(うまい鮨勘 熱海支店) | 海鮮丼(あたみ茶屋) | |||||||
あの高級魚の金目鯛をどんぶりものにしてしまう「うまい鮨勘」さん、熱海支店独自のメニューだそうです。 | あたみ茶屋さんは7種類の海の幸が乗った海鮮丼が観光客に人気。 | |||||||
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熱海海岸(サンビーチ) | ||||||||
商店街を抜けて「金色夜叉」で知られる熱海海岸(サンビーチ)に出てみます、熱海海岸は大きな波も無く比較的穏やかな海岸です、この日はオフシーズンの為に人も疎らでした。 此処サンビーチは夜間にライトアップされ幻想的な海岸となります。 |
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(ライトアップされたサンビーチ) | ||||||||
さて此処から一旦「国道135号線」に出てバスに乗り熱海城まで向かってみます。 | ||||||||
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熱海城 | ||||||||
(熱海トリックアート迷宮館) | ||||||||
熱海城は実在した要害では無く観光用に建てたお城です、城と言うより展望台と言った方がいいでしょう、直ぐ隣が熱海トリックアート迷宮館で熱海城とトリックアート迷宮館の入場券をセットで購入すると割引となります。 | ||||||||
(一階テラスの足湯) | (最上階の展望台) | |||||||
熱海城の中は文化資料館と成っています、一階のテラスには足湯が設けられ海抜120mの高さから海を眺めながら浸かる事ができます、最上階の展望台からは相模湾をグルリと見渡せ熱海の町、大島、初島などを遠望できます。この展望台は夏場に開催される熱海花火大会の絶景地だそうです。 | ||||||||
(初島と大島) | (熱海城最上階から見る相模湾) | |||||||
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熱海ロープウェイ | ||||||||
(熱海秘宝館) | ||||||||
熱海ロープウェイで下まで下ります、熱海城からロープウェイ山頂駅までは直ぐで熱海秘宝館のチケット売り場で乗車券を購入します。 | ||||||||
ロープウェイで熱海市街地、熱海湾を眺めながら麓の後楽園駅まで下ります、所要時間は3分程です、後楽園駅を降りて通りに出ます、その南側が熱海後楽園ホテルです、後楽園ホテルの客室、浴室からは熱海湾を一望できます。北側が「初島行き高速船乗り場」(熱海港)です、高速船乗り場(熱海港)にちょと寄ってみます。 | ||||||||
(後楽園駅) | (熱海後楽園ホテル) | |||||||
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熱海高速船乗り場(熱海港) | ||||||||
(熱海港) | (高速船乗り場) | |||||||
ロープウェイ乗り場から熱海港までは歩いて5分程です、此処からは初島と大島へ向かう高速船が出航しています、初島までは25分で到着するそうです。 | ||||||||
(初島行き高速船) | (初島行き高速船と入れ代わりで入港する大島行き高速船) | |||||||
大島へ向かう高速船は水中翼ジェト船で時速80km出せるそうです、大島までは直行で45分で到着します(稲取、伊東、経由もあり)。 | ||||||||
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親水公園 | ||||||||
高速船乗り場から北方向へ5分程歩くと親水公園です、親水公園は熱海市がイタリアのサンレモ市と姉妹都市である事から地中海のリゾート地をイメージして造られています、その桟橋は熱海遊覧船の発着場で遊覧船には海中展望室が備えられています。 | ||||||||
(海中展望室を備えた熱海遊覧船) | (親水公園ムーンテラス) | |||||||
親水公園の北端はムーンテラスで更に北側は熱海海岸です、このムーンテラスは夜間照明が灯され大変綺麗だそうです。 | ||||||||
(ムーンテラス夜景)「じゃらんnet提供」 | ||||||||
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熱海のイベント、お祭 | ||||||||
熱海温泉街で開催される主なイベント、お祭を見てみましょう。 | ||||||||
(熱海梅園の紅葉まつり) | ||||||||
熱海梅園は紅葉でも有名、毎年11下旬から12月ごろに色づく為に日本で最も遅い紅葉と言われています。 | ||||||||
(熱海こがし祭山車コンクール) | ||||||||
毎年7月の「こがし祭」期間中に開催される山車のコンクールです、熱海市各町内から30台以上の華やか山車が国道135号線を曳き回されます。 | ||||||||
(熱海海上花火大会) | ||||||||
熱海の海上花火大会は春、夏、秋、冬と年間を通して10回開催されます、会場は親水公園。 | ||||||||
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熱海花火大会の見える宿 | ||||||||
館内から熱海海上花火大会が遠望できる宿を幾つか御紹介します。 | ||||||||
(秀花園 湯の花膳) | ||||||||
写真、 「じゃらんnet提供」 | ||||||||
展望露天風呂から花火が望める秀花園 湯の花膳さん、熱海の夜景が最高、また伊勢海老、金目鯛など料理もクチコミ高評価。 | ||||||||
(熱海温泉 HOTEL MICURAS(ホテルミクラス) | ||||||||
写真、 「じゃらんnet提供」 | ||||||||
サンビーチの真正面のホテルミクラスさんは展望大浴場からの花火見物がおすすめです。 | ||||||||
(熱海後楽園ホテル) | ||||||||
写真、 「じゃらんnet提供」 | ||||||||
熱海後楽園ホテルタワー館の客室、大浴場、貸切露天風呂からは相模湾、熱海の夜景が一望できます。 | ||||||||
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起雲閣 | ||||||||
起雲閣は1919年(大正8年)に別荘として建てられたもので当時は熱海三大別荘の一つと賞賛されていました、その建物を1947年(昭和22年)に旅館にしたのです、一千坪の庭園はたいへん風光明媚で館内にはローマ風の浴室なども備えています、現在は文化遺産として一般公開されています。 | ||||||||
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糸川 | ||||||||
熱海桜で知られる糸川を通ります、今はまだツボミですがシーズンに成ると糸川の河川敷は桜で満開です。 | ||||||||
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熱海七湯、河原湯 | ||||||||
ここからは熱海の源泉、熱海七湯を見てまわりましょう、河原湯は元々東浜と呼ばれた道も無い石がゴロゴロした河原に温泉が豊富に湧き出ていたと云います、1666年(寛文6年)に小田原城主稲葉美濃守が村民の為に浴室を設けたそうです、当時一般の漁民や農民が入浴できるのはこの河原湯のみでした。 | ||||||||
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熱海七湯、佐冶郎の湯(目の湯) | ||||||||
佐冶郎の湯は江戸期に佐冶郎と言う人物の邸内に在った事からそう呼ばれています、後に「新かど旅館」の所有の源泉となりました、眼病に効く為に「目の湯」とも呼ばれています。 | ||||||||
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熱海七湯、清左衛門の湯 | ||||||||
その昔、清左衛門と云う農民が馬を走らせてこの湯壷に落ちて死んだ事から清左衛門湯と呼ばれる様になったそうです、人が大声で叫べば湯が大きく湧き出て、小声で呼べば小さく湧いたと伝説があります。 | ||||||||
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熱海七湯、風呂の湯、水の湯 | ||||||||
風呂の湯はその昔「高砂屋」の庭から湧き出ていたと云います、湯気の上昇が激しくそこで温泉饅頭をふかしたり酒を温めたりして販売していたそうです。風呂の湯の近くに塩分の少ない源泉がありそこへ浴槽を設けて「水の湯」と呼んでいました。 | ||||||||
(風呂の湯) | (水の湯) | |||||||
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熱海七湯、野中の湯 | ||||||||
この辺りは野中山の麓で野中と呼ばれていました、一帯は泥の中から温泉がぶくぶく噴いていて杖で突くと湧き出てきたと云います、江戸期まで野中の湯は温泉が湧き出る所が浅かったので入浴には利用されていませんでした。 | ||||||||
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熱海七湯、小沢の湯、平左衛門の湯 | ||||||||
この辺りに屋敷を構えていた沢口弥左衛門、藤井文次郎、米倉三左衛門らの庭から湧き出る温泉を総じて平左衛門の湯と称していました、地元の人達からは地名が小沢なので小沢の湯と呼ばれています、清左衛門の湯と同じく人が大声で叫べば湯が大きく湧き出て、小声で呼べば小さく湧いたそうです。 丁度此処を撮影した際に地元の方が桶に卵を入れてこの中で温泉卵を作っていました。 |
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熱海七湯、大湯間歇泉 | ||||||||
大湯は世界三大間歇泉の一つに数えられていました、江戸期頃まで1時間ごと規則正しく湯煙を噴出させていましたが明治期の中頃から噴出の回数が次第に減り、関東大震災を期に噴出が不規則と成って翌年には止まってしまいました、その後、1962年(昭和37年)に復活工事が行われ現在は4分おきに3分間、湯煙が噴出されています。 | ||||||||
江戸期には湯冶客の為の浴場が設けられていました、当時間歇泉が噴出すると地面が揺れる程の勢いがあったそうです。 | ||||||||
(噴出する間歇泉) | (大湯隣の日本発の公衆電話) | |||||||
大湯の隣には日本で最初の公衆電話が置かれていたと言います、この公衆電話が置かれたのは明治22年1月で東京に電話回線が敷かれた2年前の事です???、説明を読むと、どうやら此処の公衆電話はこの場所に建っていた内務省の建物と東京の電信所との間に敷かれていた専用回線を使って一旦東京の電信所と通話してそこで通話内容を電信所から東京の相手先に送っていた様です。 | ||||||||
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熱海梅園 | ||||||||
最後に熱海梅園に寄ってみました、この時期、1月中旬から3月上旬まで梅祭りが開催されています、園内には59品種、472本の梅の木が植えられています、まだ見ごろには多少早い時期でした、しかし熱海梅園の梅は日本一の早咲きとして有名です。 | ||||||||
園内には足湯が有り梅を観賞しながら浸かる事ができます、また期間中には甘酒無料サービスも行われています。 | ||||||||
(園内の足湯) | (中山晋平記念館) | |||||||
童謡、「てるてるボーズ」や「しゃぼん玉」の作曲家、中山晋平の別荘が園内に移築されています、中山晋平は太平洋戦争中に熱海に移住しそれ以後、生涯熱海に居住していました。 | ||||||||
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