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武田信玄の隠し湯として知られる下部温泉は古からの大変歴史のある温泉郷です、身延山へ行かれる人達の湯治場としてよく利用されています、この下部温泉の最大の特徴はなんと言っても独特の泉質の湯にあり、弱アルカリ性でなおかつ硫酸塩泉系という全国でも大変珍しいお湯で最高の湯上り状態と評判になっています、今回はその全国でも貴重な泉質で歴史ある温泉街の下部温泉郷を散策してみます。 |
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下部温泉駅 |
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下部温泉駅はJR身延線で甲府駅から特急「ふじかわ」に乗って40分程です、此処から身延山へ行くには3つ隣(特急で1つ先)の身延駅で降りて身延山行きのバスに乗ります。
まずは下部温泉駅から温泉街まで歩いてみます。 |
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メロディーブリッジ、湯之奥金山博物館 |
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(メロディーブリッジ) |
(湯之奥金山博物館) |
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下部温泉駅ロータリーから車道に出て直ぐの所に下部川に架かるメロディーブリッジがあります、このメロディーブリッジは渡るとセンサーが反応して音楽がながれる橋です、メロディーブリッジを渡ると湯之奥金山博物館で武田信玄の隠し金山として知られる湯之奥金山の資料などが展示されています。 |
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しもべ黄金の足湯 |
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湯之奥金山博物館の駐車場を挟んだ対面側に「しもべ黄金の足湯」があります、下部温泉ならではの弱アルカリ湯です、人も少なくゆっくり浸かれます。 |
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下部温泉朝市会場 |
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(下部温泉朝市会場) |
(下部温泉会館) |
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車道に戻り500m程進むと下部温泉朝市会場です、此処の朝市は毎週日曜に開催され野菜、果実など地場産品の販売が行われると言います、宿泊客で大変賑わうそうです、その朝市から少し先の下部温泉会館には公共浴場が完備されています、弱アルカリの柔らか目の温泉です。 |
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下部温泉街の「ほうとう」 |
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甲州と言えば「ほうとう」、下部温泉街で人気の「ほうとう」のお店をみてみましょう。 |
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かど久 |
いしもと |
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(あずきほうとう) |
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下部温泉街の中程にある手打ちそば、うどんの「かど久」さん、此処の「ほうとう」は野菜たっぷりです、材料などは生の状態から煮込むと言うこだわり、お座敷で下部川の渓谷を眺めながら食べるこだわりの「ほうとう」は絶品。 |
同じく下部温泉街中程の「いしもと」さん、此処はかぼちゃなど地元の野菜をふんだんに入れて煮込んだ固めの麺の地元地元正統派の「ほうとう」です、またこの地方のお祝いの時に食べる「あずきほうとう」(甘みのあるほうとう)などもあります。 |
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下部温泉旅館街 |
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下部温泉会館から5分程歩くと下部温泉旅館街です、下部温泉郷は武田信玄の父「武田信虎」の頃からの武田家公認の湯治場で川中島の合戦で傷ついた兵が此処へ温泉治療におもむいた云います、武田信玄自身も川中島で負傷した際に下部温泉郷で治療したそうです。 |
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(旅館裕貴屋さん) |
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温泉街の中程に架かる神泉橋を渡ると明治8年の創業で木造三階建ての老舗旅館「裕貴屋」さんが建っています、なかなか風情のある建物です。 |
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老舗旅館 裕貴屋 |
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(エントランス) |
(ロビーの囲炉裏) |
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明治8年創業の老舗旅館「裕貴屋」さんの木造三階の建物は昭和初期の佇まいそのまま、エントランス、廊下、お部屋などは昭和初期の古き良き時代が感じられる造りです。 |
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(廊下とお部屋) |
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建物は古くてもお部屋清潔で広々しているそうです、お風呂は大浴場は地下1Fの「洞窟岩風呂」と「七福七宝の湯」の2種類、「洞窟岩風呂」はぬる湯、「七福七宝の湯」は高温湯です、他に貸切風呂が2箇所ありますがこちらは温泉では無いそうです。 |
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(洞窟岩風呂) |
(貸切風呂) |
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慈照院と遊歩道 |
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(遊歩道) |
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温泉街の南側に古風な本堂の慈照院があります、この慈照院の脇から山へと向かう道は遊歩道で山頂の物見台へ通じています。 |
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大すべり台 |
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物見山へ登ってみます、その途中に大きなすべり台があります、大変大きなすべり台ですがあまり使われていないようです。 |
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物見台 |
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物見台に到着しました、この物見台は所謂、武田家時代の物見の砦で遠方の外敵を此処で監視していました、武田家の本拠地の甲府とは狼煙で連絡を取り合っていたと云います。 |
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(物見台からの遠望) |
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武田信玄も下部温泉郷に訪れた際に此処物見台に登り周辺を見渡したそうです、物見台からは眼下に温泉街が見えます。 |
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湯町ほたる公園 |
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車道に戻り湯之奥の集落まで歩いてみます、湯之奥の集落は温泉街から1時間半程、車道を歩きます、途中大きな鉄橋がありこの鉄橋を渡って「湯町ほたる公園」にちょと寄ってみます、鉄橋から10分程歩くと吊橋が架けられています、吊橋の先が「ほたる公園」です。 |
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此処「湯町ほたる公園は6月下旬から7月下旬まで「ほたる」が自然発生します、昼間でも気分のいい公園で「ほたる」が発生するだけあって澄んだ水の流れがとても綺麗です。 |
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下部川の渓谷 |
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車道へまた戻り下部川の渓谷を眺めながら湯之奥の集落へ向かいます、下部川は此処から西方向の山梨県と神奈川県の境に位地する毛無山を水源としています。 |
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湯之奥の集落 |
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湯之奥の集落に到着しました、湯之奥の集落には石畳の坂道が中央を通り抜けています、各家の土台も石積であり歴史を感じさせる集落です、元々この集落は武田信玄の隠し金山である湯之奥金山(毛無山の中腹)の鉱夫「金山衆」の集落でした、金山衆は武田家の配下と成った穴山氏に室町期の頃から属していたと云います。 |
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門西家住宅 |
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湯之奥集落内の門西家は室町期に佐野氏と称して穴山氏の被官でした、湯之奥金山の金山衆の纏め役で武田家滅亡後には湯之奥村の名主と成り湯之奥金山の管理を任されています。現在の門西家の住宅は江戸時代中頃に建てられたものと推定され国指定重要文化財と成っています。 |
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