|
||||||||
今回は房総最東端の銚子、犬吠埼です、銚子の町は全国屈指の水揚量を誇る漁港で知られています、利根川河口部南岸に位地する銚子漁港ではイワシ、アジ、サバ、サンマ、サメなど年間を通して20万トンを越える水揚量で2013年においては全国1位です、その海産物の町「銚子市」の海岸沿いを散策してみました。 | ||||||||
|
||||||||
銚子駅 | ||||||||
千葉駅からJR総武線で銚子駅に到着、千葉駅から大凡2時間程(時間帯、路線により多少異なる)です、駅前商店街には御土産屋さんがズラリ、もちろん海産物がその中心です。 此処から銚子電鉄で外川へ向かいます。 |
||||||||
|
||||||||
銚子電鉄 | ||||||||
( 2000形2001) | (2000形クハ2501) | |||||||
銚子電気鉄道は1913年に開業された銚子遊覧鉄道(銚子~犬吠間5.9km)をその前身として1923年に犬吠~外川(現在の路線は6,4km)を延長した鉄道路線です。 銚子駅から外川駅までは9駅で20分で到着します。 |
||||||||
(外川駅に保存されているデハ801) | (犬吠駅) | |||||||
銚子電鉄は従業員24人(2013年)の小さな鉄道会社でちょと残念な事に現在、鉄道路線事業そのものは赤字経営だそうです、そのため銚子鉄道ブランドによる食品事業を行い経営を支えています、銚子名物の「ぬれ煎餅」などがそれです。 | ||||||||
(ぬれせんべい)、写真「じゃらんnet提供」 | (ぬれせんべいを販売している犬吠駅の御土産店) | |||||||
「ぬれせんべい」は煎餅を焼いた直後に醤油に漬ける事でしっとりとした歯ざわりの農厚な醤油の味がするそうです。 | ||||||||
|
||||||||
外川 | ||||||||
(外川駅) | (外川の町) | |||||||
外川駅に着きました、外川は銚子の発祥の町で1658年(万治元年)に紀伊国出身の崎山次郎右衛門により漁港として開港されました、利根川河口沿いに位地する銚子漁港は当時、海難事故が多く漁港として整備されたのは昭和に入ってからです。 | ||||||||
江戸期、外川湊は漁業以外にも東北地方から江戸へ運ばれる米などの中継地と成っていました、また1654年(承応3年)江戸幕府の利根川東遷事業により常陸川(現在の利根川)、古利根川、渡良瀬川が1本化されると関東北部へ利根川経由で太平洋から直接船で行ける様になります、その事により外川湊は海運業の一大拠点と成りました。 丁度その頃、崎山次郎右衛門と同じ紀州国出身の濱口儀兵衛がこの地で「ヤマサ醤油」を開業しています、以後、銚子では醤油醸造、漁業、海運業が飛躍的に発展したのです。 |
||||||||
|
||||||||
長崎鼻 | ||||||||
(長崎鼻) | ||||||||
外川駅から長崎鼻へ向かいます、長崎鼻は半島の最先端で太平洋に向かって突起した岬になっています、その北側が岩場の海岸で更にその北側は長崎海岸が犬吠崎まで続きます、 この辺りの岩場の海岸にはヒトデ、カニなどが多数生息しているそうです。 | ||||||||
|
||||||||
地球の丸く見える丘展望館 | ||||||||
(展望館屋上) | ||||||||
長崎鼻から愛后山へ登ります、この愛后山山頂の地球の丸く見える丘展望館屋上から太平洋を望むと太平洋上の水平線が湾曲して見えます、快晴の日には鹿島灘、筑波山などが遠望できます。 | ||||||||
(地球の丸く見える展望館からの遠望) | ||||||||
|
||||||||
犬吠埼遊歩道 | ||||||||
(犬吠埼海岸) | (犬吠埼マリンパーク) | |||||||
海岸沿いに戻り犬吠埼遊歩道を歩いてみます、此処遊歩道周辺が犬吠埼温泉のホテル街に成っています、犬吠埼遊歩道へは犬吠埼マリンパーク辺りから下る事ができます。 | ||||||||
犬吠埼は関東の最東端の岬です、その名の由来は源義経の愛犬がこの地で置き去りにされ7日間鳴き続けた、明治のはじめまで犬吠埼はアシカの生息地でその鳴き声が犬の遠吠えに似ていた事からそう呼ばれた、など諸説あります。 | ||||||||
岩礁にうちつける荒波がなかなか豪快です。 | ||||||||
|
||||||||
犬吠埼の白亜紀浅海堆積物 | ||||||||
此処、犬吠埼の海岸は白亜紀の頃に浅瀬の海で堆積された地層を見る事ができます、この様な海底堆積物の露出した地層の海岸は関東で犬吠埼だけです、その為、国の天然記念物に指定されています。 | ||||||||
白亜紀は1億4500年前から6500年前の時代で、その後半期にはティーレックス(ティラノサウルス)、トリケラトプス、プテラノドンなどが生息しています、その最終期の6500年前にユカタン半島、メキシコ湾に巨大隕石が激突し地球規模の大災害をもたらして巨大爬虫類の時代は終焉をむかえます。 この辺りの地層からはアンモナイトなどの化石も見つかっています。 |
||||||||
|
||||||||
犬吠埼灯台 | ||||||||
白亜紀浅海堆積物の岸壁の丁度真上が犬吠埼灯台です、この犬吠埼灯台は1868年(慶応4年)にこの辺りを航行中の幕府海軍の軍艦が暗礁に乗り上げて座礁した事件を機に1874年(明治7年)、イギリスの灯台技師「リチャード、ヘンリー、ブラウトン」の設計で完成点灯された灯台です、その当時としては最大の第一等レンズを使用した第一等灯台でした。現在、国の有形文化財に登録され一般公開されています。 | ||||||||
(犬吠埼灯台脇の資料館) | ||||||||
犬吠埼灯台の下は御土産屋、食堂、出店が並び結構にぎやかです、料金を払い敷地内に入ると直ぐ脇が資料館で初代点灯用レンズが展示されています、灯台内は99段の螺旋階段を登り最上階まで行く事ができます。 | ||||||||
(犬吠埼灯台最上階) | (犬吠埼灯台最上階からの眺め) | |||||||
|
||||||||
犬吠埼の太平洋を望む温泉ホテル | ||||||||
(絶景の宿 犬吠埼ホテル ) | ||||||||
(客室)、写真「じゃらんnet提供」 | (内風呂) | |||||||
犬吠埼マリンパークの直ぐ隣、全客室より太平洋を遠望、何よりも大海原を望む広々とした露天風呂が大人気、「お風呂が良かった」とクチコミに多く見られます、露天風呂にはジャグジーも付属しています。 |
||||||||
(露天風呂) | (ジャグジー) | |||||||
(海辺のくつろぎの宿 ぎょうけい館) | ||||||||
(露天風呂) | (浴室から見た太平洋を昇る朝日) | |||||||
海辺の宿「ぎょうけい館」さん、此処は犬吠埼海岸を眼前に見る露天風呂が高評価です、犬吠埼灯台まで見えて更に太平洋を昇る朝日をおがむ事ができるそうです、またアワビ、伊勢海老、金目鯛、サザエなど夕食が豪華でボリューム満点とクチコミに見られます。 | ||||||||
(客室から見た犬吠埼) | (夕食の食材) | |||||||
|
||||||||
君ヶ浜海岸、海鹿島海岸 | ||||||||
(君ヶ浜海岸) | ||||||||
犬吠埼の直ぐ北側が君ヶ浜海岸です、この君ヶ浜海岸は日本渚100選の一つに認定された海岸です、しかし残念な事に君ヶ浜海岸は波が高く遊泳禁止と成っています。 君ヶ浜を過ぎると海鹿島海岸です、この辺りも岩礁地帯でそれを過ぎると砂の浜辺が続きます、この海鹿島にも過去に数百頭のアシカが生息していたそうです。 |
||||||||
(海鹿島海岸岩礁) | ||||||||
|
||||||||
銚子ポートタワー | ||||||||
(水産物即売センターウオッセ21) | ||||||||
海鹿海岸から銚子ポートタワーへ向かいます、銚子ポートタワーの南隣が水産物即売センターウオッセ21でこの敷地内から通路を通り銚子ポートタワーに入場できます(正門とは別)。 | ||||||||
(銚子ポートタワーへの連絡通路) | (銚子ポートタワー最上階展望室) | |||||||
銚子ポートタワーは地上57mのツインタワーで1Fがロビー、売店、2Fが展示室、3Fが展望ロビー、最上階4Fが展望室、カフェと成っています、最上階の展望室からは銚子市内、鹿島灘などをグルリ見渡す事ができます。 | ||||||||
(展望室から見た銚子漁港) | (展望室から見た犬吠埼) | |||||||
水産物卸売りセンターウオッセ21のシーフードレストラン(レストランうおっせ)では銚子漁港で水揚げされた魚介類でまとめた海鮮料理が自慢です。 | ||||||||
(海鮮丼) | (イクラ丼) | |||||||
「レストランうおっせ」で一番人気はマグロ、エビ、帆立など具沢山の海鮮丼です、更にイクラ丼や北海道の海産物をふんだんに乗せた「北海丼」、アナゴの天ぷらが丼からはみ出す位大きいジャンボアナゴ丼も人気です。 | ||||||||
(北海丼とアナゴ丼) | ||||||||
|
||||||||
利根川河口部 | ||||||||
(利根川河口部) | ||||||||
江戸初期の利根川東遷事業により常陸川、古利根川、渡良瀬川、江戸川が結ばれ太平洋から利根川経由で関東北部または江戸などへ船で直接行ける様になると利根川河口は廻船などが頻繁に往来する水路と成りました。 元来「銚子港」の銚子とは酒を注ぐ注ぎ口の細い酒器の意味しています、利根川が河口付近で急に川幅が狭くなる事からその酒器の形状に似ているとして銚子と呼ばれたそうです。利根川河口部その様に川幅が狭く干潮時、満潮時の潮の流れが早く海難事故の多発する場所でした、江戸期、廻船の往来が増える一方で廻船、漁船の遭難が其れに比例して増す状態であり日本三大海難所の一つに数えられる程の危険な水域であったのです。 |
||||||||
|
||||||||
じゃらんnet、銚子、犬吠埼周辺ホテル、旅館、空室検索 | ||||||||
|
||||||||
トップページ 古の温泉郷 千葉県史跡 | ||||||||