関東、温泉と旅行記 |
大洗、水戸、笠間方面 | |||
日本三名園の一つに数えられる水戸、偕楽園は梅、躑躅の名所で知られています、総面積300haに及ぶ広大な園内の面積は世界の都市公園の中でニューヨーク、セントラルパークに次ぐ第二位の面積でそこには3000本の梅の木が植えられています。 1833年((天保4年)に水戸藩9代藩主徳川斉昭は水戸城の西側で千波湖の辺の七面山に壮大な回遊式庭園を開く事を計画します、これが水戸偕楽園です、この水戸偕楽園は大名庭園ですが三と八の日には一般の領民にも開放されたと云います、現在2月下旬から3月下旬までは梅祭、4月上旬は桜祭、4月中旬から5月上旬までは躑躅祭が偕楽園もしくは千波公園で開催されています。 |
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好文亭表門 | ||||
東門から入り偕楽園の正門である好文亭表門へまわります、茅葺、切妻造りの屋根のこの門構えは此処から好文亭へ向かう為の正面門となります。 | ||||
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一の木戸 | ||||
表門を抜けると一の木戸が開けれています、この一の木戸から100m程南方向には井溝が在ります。 | ||||
一の木戸を潜ると坂道となりそこから先は左に竹林、右に杉林が続きます。 | ||||
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西側の日本庭園 | ||||
杉と竹の林道から園内西方向へ向かいます、少し下り常磐線の線路沿い辺りは日本庭園の区画と成っています、その庭園の入口付近に湧水が見られます。 | ||||
(日本庭園前の湧水) | ||||
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南門 | ||||
日本庭園から道沿いに南へ進むと南門が在ります、この南門の門前には船着場が設けらていました、江戸期に水戸城から千波湖へそこから桜川を通りこの南門へ舟が渡されていました。 | ||||
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くぬぎ門 | ||||
更に先へ進み「くぬぎ門」を潜り高台へ出ます、門を抜けた先に躑躅が咲いていました。 | ||||
好文亭前の躑躅 | ||||
「くぬぎ門」を出ると好文亭の正面へ出ます、この辺りには躑躅が沢山見られます、また風流な井戸なども在ります。 | ||||
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芝前門と中門 | ||||
(芝前門) | (中門) | |||
好文亭へ向かいます、好文亭の東側入口の芝前門を抜けると反対側の門である茅葺屋根の中門が見えます。 | ||||
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待合 | ||||
芝門を抜けると直ぐに料金所でそこから少し進むと茅葺の木戸が在りその先には「待合」 と呼ばれる茅葺の小屋が建っています、この「待合」は茶の会に招かれた客が茶室の準備ができるまでの控えの間と成っていました。 | ||||
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好文亭 | ||||
(好文亭本館) | (奥御殿) | |||
好文亭は1842年(天保13年)に藩主徳川斉昭が家臣との静養為に建てた屋敷です、二層三階建の本館と茅葺平屋の奥御殿の二区画と成っています。 | ||||
(楽寿楼) | (楽寿楼から見た園内の躑躅) | |||
本館の最上階は楽寿楼と呼ばれ園内から千波湖まで遠望できます。 | ||||
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仙奕台 | ||||
好文亭から東門へ戻る途中に仙奕台と呼ばれる展望台が設けられています、江戸期には三保の松原より取り寄せた松が植えられ琴石と云う石の将棋版、碁盤がおかれていました、また有事の際にはこの仙奕台を砲台として活用する目的もあったそうです。 | ||||
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千波湖と水戸城 | ||||
偕楽園の南東側の千波湖は桜の名所で知られ680本の桜の木が植えられています、元来千波湖は現在の面積よりもはるかに広く水戸城の南の水濠と成っていました。 | ||||
(水戸城本丸薬医門) | (水戸城) | |||
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弘道館 | ||||
弘道館は1841年(天保12年)偕楽園を開いた水戸藩主徳川斉昭に建てられた水戸藩の藩校です、水戸城の三の丸に位置して現在の常磐線水戸駅から500m程北側です、弘道館は文館、武館、医学館、孔子廟を備えた総合大学と成っていました。 | ||||
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