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 石垣山一夜城
       
       
 
       
 一夜城CG、写真
       
 築城年代 1590年(天正18年)
       
 一夜城は1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐に際して築城され秀吉の本陣として使われた城です、秀吉は小田原攻めが長期戦となると予測して築いたと云われ小田原城の開城後には廃城となりそのまま放置状態となっています。

       
 小田原城の包囲
       
 1589年(天正17年)豊臣秀吉は小田原北条氏に宣戦布告状を突きつけ諸大名に北条征伐の動因令を出します、翌年の天正18年の三月豊臣方の諸大名と秀吉の本隊合わせて25万の軍勢が沼津に集結しました、早々に軍儀を開かれ韮山城と山中城の二城にまず攻撃をかけて落城させる事が決定します、山中城の攻撃は羽柴秀次が総大将となり韮山城攻撃は織田信雄が総大将となりました、特に山中城は東海道筋の箱根峠に位置する北条方の防衛拠点で此処が突破されれば小田原まで一気に豊臣方の軍勢が押し寄せる事に成ります、山中城は松田康長、北条氏勝ら4000の兵で守っていました、それに対して秀次は7万の兵で猛攻をかけて城代康長は討ち死にし山中城は落城します、当時小田原北条氏の築城技術を結集させて築きあげた山中城もわずか半日で落城したそうです、その後豊臣軍は箱根峠を越えて小田原城の包囲にかかります、しかし小田原城は城下を囲む総構を築き強固な防衛態勢を整えていました。

       
 石垣山一夜城の築城
       
 秀吉は長期戦になる事を予想して小田原城を見下ろす笠懸山に城の築城を開始します、これが後に石垣山一夜城と呼ばれる要害です、石垣山一夜城の築城に関して色々な逸話があり一晩で築きあげたとか櫓、城壁などは簡素な物であったとか築城直後に城の周りの木を一気に切り倒して一日で築き上げた様に見せたとか云われていますが実際のところ「北条五代記」に天正18年の4月6日に工事が開始されたとあり完成したのが「家忠日記」に6月20日と記されています、大凡完成までに3ヶ月半かかった事になります、更に工事に携わった武将達は大阪城に引けを取らない堅固な城と賞賛する程の強固な造りでした、当初から秀吉は包囲戦に際しての築城を前提としてあらかじめ資材の加工をしておき昼夜問わずに工事を進め短期間で完成させたものと考えられています、しかし同年7月5日には北条氏直は降伏し小田原城は開城されました、これにより完成したばかりの石垣山一夜城を放置して秀吉は大阪へと戻ります、石垣山一夜城はわずか半月の短い在城期間で一度も合戦に使われる事無く廃城となりました。

       
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