滝ノ城の外周は東側の25m程の段丘を東の守りとして南は東の段丘からのびる深さ3m程の竪堀が城南端と成ります、中心の郭群の西から北にかけては外構、出郭が形成され更に城の北端と成る出郭北には巨大な畝掘が存在しています。
城東の段丘と竪堀群
主郭を中心とした郭群の東は柳瀬川の侵食により形成された段丘を防備としています、段丘面は竪掘群により堅められています。
南端の竪掘
段丘面の竪掘群の最も東の竪掘は段丘下手の平地からニノ郭の脇を抜けて高地平地部までのびています、この竪掘が城の南端で現状公道として利用されています。
外構、出郭
郭群の西から北にかけては外構、出郭が存在していました、大凡小田原北条氏時代に形成されたと考えられ家臣団の屋敷、兵舎、町屋などを土塁、空掘で囲んでいました。
北の自然畝掘
出郭の北は巨大な自然畝掘が在りこれを北端の壕としています。
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