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勝浦城の城下町である勝浦湊は東房総の主要な交易港でありました、伊豆、品川からの廻船が頻繁に来航して物品の管理、保管、輸送などを一手にまかなう業者「問」なども存在していました、その海上交易による利益は正木氏とその主君である里見氏の財政を十分に潤して強大な敵である小田原北条氏と対立する為の財源となったのです。 |
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勝浦城大手口の根古屋 |
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(大手口番所と大手口前の根古屋) |
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勝浦城の郭群の連なる尾根北端の登り口付近に大手口が設けられ番所がおかれていました、その大手口の門前には根古屋(家臣団の屋敷群)があり勝浦湊の町場と隣接していました。 |
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勝浦湊の町場 |
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勝浦城の根古屋に隣接する町場は本行寺、安立寺を中心に町並みが広がっていました、1590年(天正18年)に正木氏が勝浦城から退去した後に入城した徳川家の植村土佐守によればこの頃には既に市が開かれていたと云います、それが現在の「勝浦朝市」の前身です。 |
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勝浦朝市 |
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勝浦の朝市は天正年間に始まったと云われ日本三大朝市の一つに数えられています、当初からこの朝市は毎月の指定された日に開催される定期市とは異なり連日開かれていました、勝浦湊がいかに物量豊富な湊町であったのかわかります、現在水曜日以外の午前6時より11時まで「下本町朝市通り」もしくは「仲本町朝市通り」で連日開催されています。 |
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勝浦湊、川津魚港 |
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勝浦湊には六浦、伊豆、品川、遠く伊勢などからの廻船が常時停泊していました、現在の川津漁港の津の字は古代からの交易湊である湊津を意味しています、勝浦湊は平安期またはそれ以前から既に海上交易の湊となっていました。 |
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(川津漁港から勝浦城を遠望) |
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