海上に向かって突起した半島状の地形を利用した天然の要害である勝山城は安西氏、内房正木氏の水軍基地でありました、本郭の位地する八幡山を基点に西、北、南方向へ向かって下る尾根上に郭が配置されています、城郭南の現在の勝山漁港は入江状の地形で軍船の舟着場となっていました。 | ||||
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醍醐新兵衛の墓 | ||||
本郭の位地する八幡山(大黒山)への登り口は城山の東側に在ります、登り口から直ぐの所に「醍醐新兵衛」の墓置かれています、江戸期のはじめ浜名主である新兵衛は鯨組を組織して夏場に勝山沖に姿を見せる「ツチ鯨」を捕獲する捕鯨業をはじめたと云います、八幡山は鯨の到来を合図する見張台となっていました。 | ||||
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八幡山頂上への登り道 | ||||
八幡山の山頂へ向かう道は勝山城の北尾根を登ります、途中に腰郭や石牢の址があります。 | ||||
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本郭 | ||||
(本郭西の小口) | ||||
本郭の山頂には東西に小口があります、現在山頂には櫓に似せた展望台がおかれ小田原北条氏の水軍の拠点である三浦半島の城ヶ島、三崎などを遠望する事ができます。 | ||||
(山頂本郭の展望台) | ||||
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西方向へ延びる尾根 | ||||
本郭から西の海側に向かって尾根が段々と低くなっています、本郭の一段低い場所に二ノ郭がありニノ郭から更に尾根伝いに下る形で郭群が配置されています。 | ||||
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南北に延びる尾根 | ||||
本郭から南北へ延びる尾根にもその抑えとして郭がおかれています。 | ||||
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舟着場 | ||||
勝山城の南の勝山漁港は入江状の海岸を利用した軍船の為の舟着場でした、当時里見家は強力な水軍を有する事により強大な敵である小田原北条氏と互角に対抗していました、16世紀中頃までは房総水軍の実力と装備は小田原北条氏の水軍を上回わり脅威となっていました。 房総水軍は海上戦に熟練した海賊衆を束ねた水軍で後々小田原北条氏もその編制をまねて海賊を集め水軍を組織したと云います。 |
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浮島 | ||||
勝山漁港の1km程の海上に浮島があります、丁度舟着場であった漁港の入江の正面に位地して防波堤の役割となっています、またこの浮島にも要害の遺構が存在しています。 | ||||
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佐久間川 | ||||
勝山城の北側を流れる佐久間川は城山北面の外堀となっていました。 | ||||
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