300年以上に渡り豊島郡を支配した豊島氏ですが終止戦いに明け暮れていたばかりでは無く治水事業、開拓事業と領地経営を行い収益の増収を図り地域を豊かにする努力と共に鎌倉、西国から宗教、文化、学問を積極的に取り入れ領地の発展に努めていました、豊島氏は特に宗教文化に目を向け館近辺に幾つもの寺社を建て石神井城址の周辺にも豊島氏関連の寺社仏閣が点在して今に残されています、又それら建築様式は鎌倉、京都と様々な地域の様式によって造られ豊島氏が西国、鎌倉の優れた建築文化に憧れ地元に再現したのでしょう。
三法寺
鎌倉様式で建てられているこの寺は1394年(応永元年)幸尊法印の開山で開基は豊島宗朝とされています、元々東側にあった寺を太田道灌が豊島氏滅亡後現在の地に移したと言われています。
鹿島
三法寺池に浮かぶ島にたたずむ神社は常陸国鹿島神宮を思わせる様相です。
道場寺
豊島山で知られる道場寺は1372年(応安5年)豊島景村の養子(北条高時の孫)輝時が大覚禅師を招いて建てたのが始まりで境内には豊島秦径と一族の墓と伝わる3基の石塔があります、又同じ境内の三重の塔は現在文化財に指定されています。
氷川神社
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