谷保の城山は高さ8m程の青柳段丘上に築かれた丘城で現状中心の郭と思われる2区画の郭が良好な状態で残っています、その2つの郭を合わせて東西50m、南北70m程で南面が段丘であり東面が自然の谷間を堀として北面から西面にかけては空堀で囲った状態に成っています、万治年間及び天保年間の古図面に2つの郭から谷を隔てた東側と西面の空堀の外に土塁が画かれている事とその土塁の一部が近年まで存在していた事から中心の2つの郭の東西に別の郭が存在していたと考えられます。
主郭とニノ郭
中心の郭は中央の土塁で2つにわけられて南は段丘、東は自然の谷、北から西は空堀で防備を固めています、通常2つの郭の内段丘側である南の郭が主郭となりますが北の郭には谷間及び空堀面には虎口が無く南の郭をぬけて北の郭に入る造りに成っているのでこの場合北側の郭が主郭で南側の郭がその守りの郭と考えられます。
主郭とニノ郭を仕切る土塁
北の主郭と段丘側である守りの郭(ニノ郭)の間は現状高さ1m弱程の一本の土塁で仕切られています。
ニノ郭虎口
ニノ郭の西面の土塁は中央がえぐられ2つに分かれています、左写真の土塁の中央部が虎口で手前の土塁が櫓台であったと考えられます、またその2つの土塁の北隣(右写真)は土塁がそっくり削られ通路と成ってます、此処も1659年(万治2年)に作成された古図面に記載されている事から同様に虎口でった可能性はありますが事実は不明です。
井口跡?
ニノ郭虎口の内と外に現在も水を満たす湧水井戸が2基在りますが在城年代から存在していたかどうかはわかりません、しかしこの井戸もまた万治2年の古図面に記載がある事からその可能性はあります。
西ノ郭
主郭とニノ郭の西側に近年まで土塁址が残っていました、また古図面にも記載がある事から主郭とニノ郭の西側に別の郭が存在していたと考えられます。
主郭、ニノ郭の東面の谷
主郭とニノ郭の東側は自然の谷間を堀として利用しています。
東の出郭
主郭、ニノ郭の谷を隔てた東側の丘上にも近年まで土塁が存在していました、その事からこの丘にも独立した別の郭が存在していた事がわかります、大凡突起した丘状地形を利用した物見の為の出郭であった可能性があります。
ニノ郭の谷側の虎口?
ニノ郭の谷側の土塁に虎口と思われるヘコミが見られます、ヘコミの真下は谷で3m程の崖でありこの位地に虎口は不自然と考えられるのですがそのヘコミの口は谷を挟んだ丘上に向かってあけられているのでこのニノ郭のヘコミ口から丘上の出郭に向かって連絡用の橋が架けられていたのではないかと考えられます。
(郭側から見たヘコミ口と谷側から見たヘコミ口)
城郭南の原野
在城当時には城郭南側の段丘真下から更に南方面は広大な原野が広がっていました。