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 戦艦コンテ・ディ・カブール  
         
         
   
         
 コンテ・ディ・カブール級戦艦はダンテ・アリギエーリ級戦艦に次ぐイタリア海軍弩級戦艦の第二段です、ダンテ・アリギエーリが試作タイプの弩級戦艦であったのに対し本級からは本格的弩級艦として建造されました、コンテ・ディ・カブールの同型艦ジュリオ・チェザーレ、レオナルド・ダビンチは1914年5月に就役、コンテ・ディ・カブールは1915年に就役、3艦ともイタリアが第一次大戦に参戦する前に就役しています。  

 
         
 コンテ・ディ・カブールの船体、装甲、機関  
         
   
 戦艦コンテ・ディ・カブールの大きさは全長176.9m、最大幅28m、基準排水量23000tです、就役当時各国の主力戦艦と比較して比較的小ぶりな船体でしたが横幅が長くドッシリとした船体でした、また本級からラム(衝角)が取り外された為に艦首部がスッキリした形状となっています。   
   
 コンテ・ディ・カブールの装甲は全体装甲で1番主砲塔から5番主砲塔間の船体側面水線部で250mm、甲板部最大80mm、主砲塔全面280mmです、更に水線部の上部にも220mm~130mmの装甲が施され艦首、艦尾の側面も110mmの装甲が張られています、重圧な装甲とまでは言えませんが船体の略全体は装甲で守られています。  
   
 機関は重油専焼ボイラー8基と石炭、重油混焼ボイラー12基で低速タービン3基、高速タービン3基を発動させ4軸のスクリューを回転させます、それにより最大出力31000hp、最大速力21.5ノット発揮します、当時としては標準的な馬力と速力です。  

 
         
主砲46口径30.5cm砲   
         
   
(艦首46口径30.5cm3連装砲塔1基、連装砲塔1基)   
         
  コンテ・ディ・カブールの主砲は46口径30.5砲を採用、当時各国の超弩級戦艦は34.3cm砲、35.6cm砲を主砲としていたのでコンテ・ディ・カブール30.5cm砲は非力に思われますが、そもそもコンテ・ディ・カブール級戦艦はアドリア海を挟んだ敵国オーストリア・ハンガリー帝国海軍の弩級戦艦フィリブス・ウニティス級4隻に対抗して建造された為に同等の30.5cm砲で十分でした。
 この46口径30.5cmは最大射程24000m、1分間に2発の発射が可能です。
 
 
(中央部の46口径30.5cm3連装砲塔1基)   (艦尾46口径30.5cm3連装砲塔1基、連装砲塔1基)   
         
 この46口径30.5cm砲を艦首甲板上に3連装砲塔に収め1基、その背後に背負い式で連装砲塔1基、船体中央甲板上に3連装砲塔で1基、艦尾甲板上に3連装砲塔1基、その後ろ連装砲で1基で配置されています、艦首、艦尾の背負い式の砲塔が連装式なのは艦の安定をははかるためです。 この配置により両舷側に最大13門もの主砲がむけられます。  
   
(右舷側に向けられた13門の30.5cm砲)  

 
         
 コンテ・ディ・カブールの備砲  
         
   
(右舷側の50口径12cm砲9門)  
         
 副砲は50口径12cm砲で両舷の船体側面に9門づつの計18門が配備されています、いささか小ぶりですが速射性を重視しての為です、更に50口径76.2mm砲13門、40口径76.2mmが6門対水雷艇及び対空用として配備されています。   

 
         
 コンテ・ディ・カブールの艦歴  
         
 1914年5月にコンテ・ディ・カブールの同型艦ジュリオ・チェザーレ、レオナルド・ダビンチが就役、遅れて1年後にコンテ・ディ・カブールが就役します、大戦中コンテ・ディ・カブールはタラント港に入り艦隊旗艦を務め船団の護衛とオトランド海峡の封鎖任務についていました(ジュリオ・チェザーレ、レオナルド・ダビンチも同じ艦隊)オトランド海峡を封鎖した為にオーストリア・ハンガリー帝国の主力艦フィリブス・ウニティス級4隻と他の艦艇は身動きが取れずコンテ・ディ・カブール級3隻は大きな海戦に参戦する事はありませんでした、しかし1916年8月2日レオナルド・ダビンチが主砲塔の爆発事故で横転沈没、後年引き上げられましたが修復できずに解体されています。
 大戦後コンテ・ディ・カブールは近代改装が行われ13門の46口径30.5cm砲は10門の43.8口径32cm砲と交換されています、また機関も大幅改良され最大速力が28ノットまで上げられています、更に副砲も新設計の12cm砲を搭載、対空防備も強化されています。
 2次大戦が勃発した時点でイタリア海軍で出撃可能な戦艦はコンテ・ディ・カブール級の2隻だけでした。
 1940年母港タラント港に居たコンテ・ディ・カブールはイギリス空襲を受けて大破、着底状態となります、その後引き上げられ修復が行われましたが修復が完了する前にイタリアが連合国に降伏、コンテ・ディ・カブールは自沈されます、しかし1944年にドイツ軍が引き揚げましたが今度は米軍の空爆を受けて大破着底、戦後1947年に解体されました。 
 

 
         
 戦艦コンテ・ディ・カブール  
         
 基準排水量  23088t  兵装  
 全長  176.9m  46口径30.5cm三連装砲塔  3基9門
 最大幅  28m  46口径30.5cm三連装砲塔  2基6門
     50口径12cm砲  18門
 機関   石炭、重油混焼ボイラー12基、重油専焼ボイラー8基、低速、高速タービン各3基、4軸推進   50口径76.2mm砲  13門
 40口径76.2mm砲  6門
 最大速力  21.5ノット  45cm水中魚雷発射管  3基
 最大出力  31000hp    
     1910年起工  
 装甲厚    1911年浸水  
 絃側水線部  250mm  1915年就役  
 甲板部  最大80mm  1947年4月解体  
 主砲塔全面  280mm    
       
 

 
         
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