|
||||||||
伊豆半島で最も歴史ある温泉郷「修善寺温泉」へ行ってきました、修善寺温泉は平安期に弘法大師により開かれたとされ、鎌倉初期には鎌倉幕府2代将軍「源頼家」が幽閉された地として知られています、今回はその修善寺の温泉街を散策してみました。 | ||||||||
|
||||||||
修繕寺嵐山 | ||||||||
(修善寺駅) | (修善寺嵐山) | |||||||
伊豆箱根鉄道「修善寺駅」から修善寺温泉行きバスに乗り伊豆総合会館バス亭で下車、此処から温泉街を徒歩で散策してみます。 バス亭から南方向には嵐山が見えました。 |
||||||||
|
||||||||
御幸橋 | ||||||||
(御幸橋手前の道標) | ||||||||
温泉街へ向かって200m程進むと大正期に施工された御幸橋が桂川に架けられています、大正天皇の行幸に因んで御幸橋と命名されたそうです、橋の手前には当時の物かと思われる古い道標が立てられています。 | ||||||||
|
||||||||
修善寺温泉旅館街 | ||||||||
(老舗旅館、菊屋) | (桂川) | |||||||
御幸橋付近から温泉街に入ります、修善寺温泉街は桂川の両岸にホテル、旅館が点在しています、夏目漱石が宿泊した老舗旅館「菊屋」もこの並びです。 | ||||||||
|
||||||||
老舗旅館、菊屋 | ||||||||
(桂川に架かる回廊)写真、 「じゃらんnet提供」 | (昭和初期頃と思われる菊屋の玄関) | |||||||
修善寺温泉街の老舗旅館「菊屋」さんは創業が江戸期の中頃、夏目漱石や昭和天皇などが過去に宿泊されたそうです。客室へは玄関から桂川に架かる回廊を渡るというなんとも凝った造りの旅館です。 | ||||||||
(女性用檜風呂) | (男性用露天風呂) | |||||||
お風呂もなかなかこだわりがあり檜風呂、岩風呂など純和風、また各お部屋ごとに間取も異なり部屋からの景色も違うそうです。 | ||||||||
(大浴場) | (お部屋から眺める中庭) | |||||||
お部屋から見える中庭も人気があります、古き良き時代の宿です。 | ||||||||
|
||||||||
渡月橋、筥湯 | ||||||||
(渡月橋) | (筥湯) | |||||||
朱色の渡月橋を渡ると共同浴場「筥湯」が営業しています、昭和初期まで修善寺には7ヶ所の外湯がありました、筥湯はその内の一つです、1204年(元久元年)に幽閉されていた鎌倉幕府2代将軍「源頼家」が此処で入浴中に北条氏の刺客により殺害されたと云います、中は檜風呂で隣接する「仰空楼」からは修善寺の町が一望できます。 | ||||||||
|
||||||||
修善寺で人気のそば屋さん | ||||||||
修善寺と言えばそば、温泉街で人気の高いそば屋さんを見てみましょう。 | ||||||||
(四季紙、湯の宿花小道内) | ||||||||
写真、「じゃらんnet提供」、(おろしたぬきそば) | ||||||||
旅館「花小道」一階にあるそば処。黒米そば・韃靼そば・うどんの3種の麺から選べる。お勧めは伊豆のシイタケが丸ごと入ったシイタケ黒米そば。 | ||||||||
(独鈷そば大戸) | ||||||||
「じゃらんnet提供」 | ||||||||
竹林の小経近くのそば屋さん、メニューはザルとかけの2種類のみ、注文すると生わさびが一本付いて自分で摩り下ろすそうです、摩り下ろした残りはお持ち帰り。本格的手打ち蕎麦のお店。 | ||||||||
(やまびこ) | ||||||||
「じゃらんnet提供」 | ||||||||
修善寺虹の郷の近くの「やまびこ」さんはお蕎麦の人気もさることながら野菜天ぷらの盛り合わせが大人気です、そばつゆでなく塩を漬けるそうです。 | ||||||||
|
||||||||
日枝神社 | ||||||||
渡月橋の斜め向かいに日枝神社が建立されています、日枝神社は元々修善寺の鬼門の方角で修善寺の鎮守として弘法大師が建てたと云われています、参道脇に庚申塚があり、そこは信功院の跡で源頼朝の兄「源範頼」が謀反の疑いで幽閉されていました、後に範頼は梶原景時に攻められ自害を果たしています。 | ||||||||
(信功院跡) | ||||||||
信功院はその後に庚申堂と成り現在そこに安置されている庚申塚は1818年(文政元年)に立てられたものです。 | ||||||||
(信功院イメージ) | ||||||||
|
||||||||
修善寺 | ||||||||
(こけい橋) | (修善寺参門) | |||||||
渡月橋から50m程西側が「こけい橋」でその正面が修善寺です、修善寺は802年(大同2年)に弘法大師により東国真言宗の拠点として建立されました、その後1246年(寛元4年)に鎌倉「建長寺」を開山した南宋の宗、蘭渓道隆(大覚禅師)が一時滞在していた事から南宋の皇帝より勅額(国家公認の寺社に与えられる皇帝直筆の寺社額)が下されました、それにより修善寺は大陸でその名が知れ渡ったと云います。 | ||||||||
|
||||||||
独鈷の湯 | ||||||||
こけい橋からは修善寺の名所「独鈷の湯」が見えます、此処も修繕寺の七ヶ所の外湯の一つでした、その昔、桂川で病の父の体を洗う少年を見た弘法大師が独鈷(仏具)で岩をたたくと霊泉が吹き出てきたのが独鈷の湯と云われています、現在は入浴が禁止され足湯として利用されています。 | ||||||||
(足湯) | ||||||||
独鈷の湯の隣にも足湯が設けられています。 | ||||||||
|
||||||||
竹林の小径 | ||||||||
(桂橋) | ||||||||
独鈷の湯から桂川沿いの道を進むと桂橋が対岸に架かっています、対岸に渡ると竹林の小道「竹林の小経」です、此処もまた修善寺の観光名所です。 | ||||||||
途中、竹造りの円形ベンチや火の見櫓なども有ります、「竹林の小経」の距離は100m程で楓橋まで続きます。 | ||||||||
(楓橋) | ||||||||
|
||||||||
赤蛙公園 | ||||||||
(楓橋隣の古井戸) | (ギャラリーしゅぜんじ回廊の脇道) | |||||||
楓橋を渡ると直ぐ隣には古井戸が有り此処から「ギャラリーしゅぜんじ回廊」の脇道を通り赤蛙公園へ向かいます。 赤蛙公園は作家「島木建作」がこの地で蛙が必死で川を渡る姿を見て名作「赤蛙」書いたと言います(発表は建作の死後)。 |
||||||||
(赤蛙公園) | ||||||||
|
||||||||
桂川対岸の小道 | ||||||||
赤蛙公園から滝下橋を渡り対岸の小道を今度は逆方向へ進みます、丁度「竹林の小経」の南側を通り抜ける小道です、途中に立派な冠木門の老舗旅館も在り、更に進むと昔懐かしい射的、スマートボールなどの遊技場、お土産屋が建ち並んでいます。 | ||||||||
|
||||||||
独鈷の湯公園 | ||||||||
(弘法の湯) | ||||||||
小道の先には「独鈷の湯公園」が在ります、公園から桂川の対岸が独鈷の湯、修善寺です、園内の「弘法の湯」は源泉で飲泉可能です。 | ||||||||
|
||||||||
指月殿 | ||||||||
独鈷の湯公園から指月殿へ向かいます、公園から3分程で公園を過ぎた所に案内板が掲げられています、指月殿は北条政子が殺害された息子、2代将軍「源頼家」の冥福の為に建立したとされ隣には頼家の墓、頼家の家臣十三士の墓が安置されています。 | ||||||||
|
||||||||
修善寺虹の郷 | ||||||||
( 英国村)、写真、「じゃらんnet提供」 | (カナダ村) | |||||||
修善寺温泉に行ったら「修善寺虹の郷」に寄ってみましょう。日本庭園、しゃくなげの森、花しょうぶ園、イギリス村、カナダ村、伊豆の村、匠の村など各ゾーンに別れた自然あふれるテーマパークです。 | ||||||||
広い園内はバス、SL、DL機関車で移動します。 | ||||||||
|
||||||||
修善寺の旅行は此処までですが時間が十分余ったので「修善寺温泉口バス亭」からバスで土肥温泉へよってみる事にしました。 | ||||||||
|
||||||||
じゃらんnet、修善寺周辺ホテル、旅館、空室検索 | ||||||||
|
||||||||
トップページ 古の温泉郷 伊豆方面史跡 | ||||||||