現在の信濃国分寺は信濃国分寺址の北側に位置しています、大凡平安末期の頃に律令体制の衰退で寺院は荒廃し現在の地に再建されたと云われています、源頼朝が当寺を訪れた時に三重の塔を建立した伝承があり鎌倉時代初期には既にこの地に再建されていた事がわかります。
仁王門と本堂
(仁王門、 本堂、)
仁王門は国道16号線沿いに在りその仁王門から200mから300m程参道を進むと本堂に至ります、本堂は1829年(文政12年)の発願で1860年(万延元年)に完成しています、入母屋造りで妻入の建造物です。
三重の塔
1197年(建久8年)源頼朝が信濃国分寺を参拝した時にその荒廃した状況に嘆き信濃国分寺の修復を命じました、三重の塔はその頃に造営されています、また塔内には建久8年と書かれた墨書が残っていたと云うことです、その後室町時代中頃に現在のものに建てかえられました、現在国の重要文化財に指定されています。
信濃国分寺その他の建物
(鐘楼、 大黒天堂、)
信濃国分寺には鐘楼、大黒天堂、地蔵堂、観音堂などが置かれています、また三重の塔の西側には鎌倉時代に造られた石造の多宝塔が在ります。
(観音堂と地蔵堂)
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