(下野国分寺外周)
南大門
南大門の基壇の規模は中門と同じ規模で間口23m、奥行き10mあります、その南大門は奈良期の官道である東山道に接していました。
(久保公園東山道跡)
下野国分寺から東5kmの久保公園には東山道の遺構が在ります。
鐘楼と経蔵
回廊で囲まれた中枢区画の北側裏手には西側に鐘楼、東側に経蔵が配置されていました。
(鐘楼)
鐘楼は梵鐘を吊るした鐘突堂で時を告げる為の施設です、経蔵は経典、仏典など仏教学門に必要な教材が保管された資料館です。
(経蔵)
講堂
鐘楼、経蔵の北側(金堂裏手)には仏教講義や会議などが行われる講堂が置かれていました、その基壇は間口25m、奥行16m程です。
僧坊と北門
(僧坊)
講堂の裏には僧侶の生活施設である僧坊が置れその僧坊の更に裏側には北門が開かれていました。
(北門)
思川と下野国庁
下野国分寺は西を流れる思川の丘状地形に位置しています、その思川の対岸には下野国府の中心の建物である「下野国庁」が存在して」いました、律令体制時代に現在の国分寺、国庁がある思川両岸は下野国の政治的中心地でありました。
(思川対岸の下野国庁跡)
現在の下野国分寺
現在の国分寺は瑠璃光山安養院国分寺と称して下野国分寺跡より北東1kmに位置しています、変換期は定かであはありませんが奈良期の下野国分寺が12世紀頃に衰退しているのでそれ以降と考えられています。
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