甲斐国分寺尼寺は甲斐国衙が笛吹市御坂町に移転される以前の同市春日居町に置かれていた頃にその付属寺院である寺本廃寺が尼寺の前身とされ国衙の御坂町への移転に伴い甲斐国分寺僧寺の北方600mの位置に国分寺尼寺として移されたと考えられています、その国分寺尼寺の衰退は早く平安期中頃には僧寺と同様に寺域とされる場所に村落が置かれ廃寺となり以後再興する事はありませんでした。
甲斐国分寺尼寺の伽藍配置
甲斐国分寺尼寺の寺域は東西、南北共に200m程で中枢部の伽藍配置は中門から金堂へと東西に回廊が渡されその内側は中庭と成っています、金堂の裏側には講堂が在り更にその裏には尼坊が配置されていました。
講堂跡
(講堂跡、 講堂礎石、)
国分寺尼寺の講堂は国分寺僧寺の講堂より一回り小ぶりで東西20m、南北14mの建物でした、現状基壇跡に12個の礎石が残されています。
金堂
金堂は講堂より幾らか高い位置に基壇が配置されています、版築の基壇の上には東西20.5m、南北13.2mの建物が在り現在その金堂建物の礎石が18個残っています。
(金堂礎石)
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