関東、温泉と旅行記 |
霞ヶ浦、土浦、古河方面 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
逆井城は「西仁連川」を北の濠とする平城です、当時「西仁連川」は飯沼と呼ばれる東西1km、南北30kmの細長い湖で小田原北条氏はその飯沼を常陸国侵攻の前線の防衛線としていました、その拠点の一つとして築城されたのが逆井城です、その縄張は飯沼に接した本郭の東、南、西側の三方をニノ郭が囲む輪郭式の縄張となっています。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
大手口 |
|
|
|
|
|
|
|
|
(着到櫓) |
|
|
|
|
|
|
ニノ郭は東西に分けられ西のニノ郭の南側には木橋が架けられ大手口が設けられていました、その直ぐ西隣には着到櫓と呼ばれる二層櫓あり木橋に対して横矢がかけられる様に成っています。 |
|
|
|
(木橋と大手門と平櫓) |
|
|
|
|
|
|
着到櫓から土塁上の西側には平櫓も置かれています。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
西ニノ郭の南の堀 |
|
|
|
|
|
|
|
|
西ニノ郭の南側の堀は水濠で在城当時は蓮沼と呼ばれニノ郭の西側を囲み飯沼へと通じていました、その頃左上の写真付近には船着場が在り飯沼を通じて物資、兵員などの輸送を行っていました、またこの船着場は江戸期に地元名産の猿島茶を輸送する舟が着いていたので「入江」と呼ばれていました。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
西ニノ郭の西側の小口 |
|
|
|
|
|
|
|
|
西ニノ郭の西側(上記ニノ郭南から囲む水濠沿い)にも小口が設けられています、この小口の内側は枡型と成っていました。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
車井楼 |
|
|
|
|
|
|
|
|
西ニノ郭の南端には車井楼と呼ばれる櫓が建っていました、この櫓は車輪とレールが設けられ西ニノ郭の南面を東西に移動できたと云われています。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
主殿 |
|
|
|
|
|
|
|
|
西ニノ郭の西側には主殿(城主の屋敷)が在ります、当時の城主の屋敷の規模は御殿と言えども比較的小ぶりで現在の建売住宅とさほど大きさは変わりませんでした。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
本郭の堀 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
(鐘堀池) |
|
|
|
|
|
|
本郭は東、南、北側を空堀が囲み北側は飯沼となっていました、南側の空堀の中には鐘堀池と呼ばれる城内の水の手井戸が在ります、伝承によると1536年(天文5年)小田原北条氏の大道寺盛昌に逆井城を攻められ落城した時に城主「逆井常繁」の奥方と姫が釣鐘に入りこの井戸に身をなげたと云われています。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
本郭の東の小口 |
|
|
|
|
|
|
|
|
本郭の東側小口は櫓門でそこから木橋が東ニノ郭へと渡されています、またこの門の直ぐ北側の堀は折と成り横矢がかけられる仕掛けです。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
トップページ 城址 茨城県史跡 逆井城 |
|
|
|
|
|
|