現在、騎西城の遺構は宅地化が進み旧天神郭付近の土塁址のみで他にはありません、騎西城が城として使われていた当時の状態は沼地を埋め立て築かれた城で、北側から本郭、ニノ郭、天神郭、が連なり、そこから東が大手郭でそれら郭の南側に家臣達の屋敷群が建ち並び郭群と屋敷群の間の堀が障子堀であった事が最近の調査で判明しています、遺構こそ消失していますが現況区画整理された跡に当時の郭群の面影をいささか残しています、又天神郭に博物館と成った天守が復元されていますが当時には在りませんでした。
土塁址
騎西城に唯一残された遺構です。
障子堀
(大手郭、天神郭)と外郭の間は障子堀(敵の突入を妨げる為に仕切られた空堀)と成っていました。
家臣団屋敷群
外郭は家臣団の屋敷群が存在していました。
大手付近の水堀址
的場の郭
天神郭と大手郭の中間に的場と成っていました。
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