関東、温泉と旅行記 | 佐倉、千葉市方面 | |||
千葉城は亥鼻城と称して中世千葉氏が居住した千葉館とは異なる城と考えられています、その城郭は意外と広く南北は500m、東西は800m以上です、一般に中世後半の戦国期には政務を行う館と戦時においての要害は分ける事が多く亥鼻城と千葉館の関係はそれに累いするものでしょう、もしくは戦乱が激化する事に伴い亥鼻城を拡張する事により2区画に分類されていた要害と館を一つとしたとも考えられます。 | ||||
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東の大外堀址 | ||||
千葉城は西の亥鼻と呼ばれる搦手側の亥鼻公園西の段丘から東の大手側の千葉大学医学部付属病院に至る縄張です、その医学部付属病院の東には道路より一段深く掘りこまれた場所に公園があります、この公園の敷地が大凡大手の外堀であったのでしょう。 | ||||
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大手口 | ||||
青葉台の丁字路から千葉大学医学部沿いの道を亥鼻公園へ向かって進むと緩やかな坂道が在り千葉氏の守護神が祭られている七天皇塚が見えます、大凡この付近が大手口であったのでしょう。 | ||||
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七天皇塚 | ||||
亥鼻城大手口には七天皇塚があります、七天皇塚とは七つ塚とも呼ばれ千葉氏の守護神「牛頭天皇」を祭った塚で大手口付近に千葉氏が崇敬する北斗七星の形にそれを配置したと云われています、またこの塚は千葉家七人の兄弟の塚とも平将門の七騎武者の塚とも伝えられています。 | ||||
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亥鼻城本郭 | ||||
(千葉市立郷土博物館と本郭土塁) | ||||
亥鼻公園の高台が亥鼻城の本郭です、亥鼻公園内には天守を模った千葉市立郷土博物館が在り本郭の土塁も点在する形で幾らか現存しています、また博物館前では「てっぽう」射撃実演式が行われる事もあります。 | ||||
(火縄銃演式) | ||||
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亥鼻城西端部の段丘 | ||||
(亥鼻城西端の段丘上の郭と堀切址) | ||||
亥鼻公園の西側は段丘となり堀切址が見られその先に神明社が祭られています、この辺りが亥鼻城の西端の郭です、この突起した丘状の地形が猪の鼻と似ている事から亥鼻城と呼ばれたと云います。 | ||||
(西端の郭の下手にある腰郭) | ||||
更に段丘上の西端の郭の下手は腰郭と見られる地形となっています。 | ||||
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お茶の水、不動堂 | ||||
亥鼻公園の入口付近に不動堂が祭られその脇に「お茶の水」と呼ばれる湧水が在ります、治承年間(1177年~1181年)に源頼朝が亥鼻を訪れた時に千葉家当主「千葉常胤」はこの湧水を汲んで茶を沸かし頼朝に差し出したと云われています。 | ||||
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都川 | ||||
千葉港に注ぐ都川は亥鼻城の西側から北側の天然の外堀となっていました、亥鼻城は都川と亥鼻の丘状地形を利用した要害の地でありました。 | ||||
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