関東、温泉と旅行記 |
小山、佐野方面 |
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現在の鑁阿寺の敷地内である足利氏館は東西150m程、南北150m程の方形状の中世初期の武士団の館です、周囲を水濠と土塁で囲み南を大手として東、北、西側に小口が設けられています、また館の南側には中世の高等教育機関である足利学校が在り、同足利市内で館の北2kmの両崖山には当館の後詰の要害足利城が存在してます。 |
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大手口 |
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館の大手口は南側に開かれています、丁度鑁阿寺の参門が大手口になります。 |
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館の周囲を囲む堀 |
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館の周りは四方を水濠である堀に囲まれています、南の大手側の堀は多少内側に向かって斜めになっています、如何なる理由かはわかりませんが館外の何かを避けていたのでしょう。 |
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土塁 |
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堀の内側は堀の掘削により掘起こされた土を盛った150cm程の高さの土塁となっています、足利館の外周には特に枡形、折などの防御の仕掛は無く典型的な中世初期の館の構造となっています。 |
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西側の小口 |
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館の小口は大手口以外に東、北、西に開けられています、この西門と東門は鎌倉初期に足利義兼により創建され15世紀始めに修築されました。 |
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館中心部 |
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(鑁阿寺本堂) |
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館の中心である「御殿」、「御座所」などは現在の鑁阿寺の本堂付近にありました、ちなみに本堂は1299(正安元年)に建立されている事から鎌倉時代末期には足利氏館はほぼ鑁阿寺の寺域となり武士の館としての役割は終焉していたのでしょう。 |
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足利学校 |
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足利氏館の南側には鎌倉期に創建された中世の高等教育施設である足利学校があります、当時関東においての最高学部で主に儒教、医学、兵法を教えていました、南北朝期に一時衰退しますが1432年(永享4年)関東管領上杉憲実により再興され南は琉球王国、北は奥州より学生が集まったと云います、その後小田原北条氏時代、江戸時代を通じて存続しています、ちなみに足利学校の運営資金は所領を有していて江戸期には100石の所有していました。 |
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