関東、温泉と旅行記 |
宇都宮、日光方面 |
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(宇都宮城中心部) |
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宇都宮城が宇都宮氏の館として建てられたのが平安末期です、その後南北朝期に戦時に対応した要害に改築され更に16世紀中頃には戦国の城として完成されました、江戸期に入り日光街道と奥州街道の分岐点である宇都宮は交通の要所となり蒲生秀行、本多政純は城下集落を含む外郭を形成して一大要塞都市に造り返られたのです。 |
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本郭 |
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本郭は宇都宮城の中心にありその外周をニノ郭、三ノ郭が囲む所謂輪郭式の城郭となっています、本郭の土塁は大凡15m程の高さで土塁上には5基の櫓が設置されています、その周りは水濠が囲み東西には小口土橋が設けられていました。 |
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(本郭北側の堀、本郭東側の堀) |
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本郭土塁 |
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本郭の土塁は西面から北面にかけて復元されています、15m程あり少し高過ぎる様に見えますが南北朝期と江戸初期に本郭の外周の堀を拡張の為に掘削してその土を土塁として積み上げたと云われています。 |
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本郭土塁上の櫓 |
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(清明台櫓、富士見櫓) |
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土塁上の櫓は北側から東まわりに北櫓、東櫓、辰巳櫓、富士見櫓、清明台櫓の5基の二層櫓がおかれていました、現在清明台櫓と富士見櫓が復元されています。 |
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(清明台櫓内部) |
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本郭小口 |
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(本郭伊賀門) |
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本郭には北側に清水門、南側に伊賀門の二箇所の小口が開かれていました、双方の小口には内側に枡形が設置され門内に入り込んだ敵に対して四方から弓、鉄砲で攻撃できる仕組みとなっています。 |
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ニノ郭 |
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本郭の外周を囲む形でニノ郭が形成されています、北側に二箇所、東側に一箇所の小口が設けられていました。 |
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二ノ丸御門 |
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(表門) |
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二ノ郭の北側の二箇所の小口のうち西よりの小口が二ノ丸御門です、三ノ郭へ出る小口でニノ郭の主要門となります、堀を挟んだ内と外の両側に枡形が形成され堀の外側の枡形口を表門と称していました、この二ノ丸御門の内側には御殿があります、その為に二重の枡形で防備を厳重にしたのでしょう。 |
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(ニノ郭の御殿) |
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白眼御門 |
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(ニノ郭北側の土塁上に並ぶ3基の二層櫓) |
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ニノ郭北側のもう一箇所の小口である白眼御門は東よりに位置しています、こちらの小口も防備は固く小口前に小規模な郭がありそこから水濠沿いの細長い土橋が外郭へ通じています、外郭から直接ニノ郭へ入れる小口であり外郭から侵入する敵軍はこの細い土橋上で二ノ郭と堀対岸の三ノ郭双方から弓、鉄砲を一斉に受ける事になります、またニノ郭御門から白眼御門に至る土塁上には三基の二層櫓が建てれていました、ニノ郭の北側は大手方面の為に余念無く防備を固めたのでしょう。 |
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三ノ郭 |
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(三ノ郭北側の太鼓門) |
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ニノ郭の北側は三ノ郭です、中世宇都宮氏の城郭は大凡この辺りまでであったのでしょう、主に家臣団の屋敷が点在し周囲は百間堀と呼ばれる水濠で囲まれ北側と南西部に小口が在りました、その北側大手方面の小口である太鼓門の前には丸馬出が備えられていました。 |
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西屋形郭 |
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三ノ郭の南西側の小口は二箇所在り西の外郭とニノ郭の西側に位置する西屋形郭へと通じています、西屋形郭の南側には西屋形門が在りその前には水濠を渡る屈曲した土橋が西の外郭へと繋げられています、また西屋形門の東側の小口を抜けるとニノ郭の南側に位置する屋形郭に出ます。 |
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