今井城の歴史について参考と成る資料ですが武蔵名勝図会に古屋敷跡として今井四郎左衛門殿径家の住居とあるのみでこの城の正確な築城年代や青梅今井氏について詳らかな事は不明です、ただ昭和42年の二回に渡る発掘調査で1312年(正和元年)から1522年(大永2年)にかけての板碑、墓石、開元通宝、青磁器、瀬戸製の磁器などが多数土出している事から大凡築城時期は鎌倉末期から南北朝期頃とされています、更に今井城は大々的な改築のがなされ出土した墓石、板碑などが故意的に埋め立てられてその上に土塁等が築かれている点と最も新しい板碑が1482年(文明14年)である事からこの時期以降に今井地域の支配権が交代して城主が代わった可能性があり時を同じくして改築が行われたものと考えられています。
孤立した南朝方の城?
今井城が築城された時代、関東は南北朝の戦乱の最中でした、青梅市内より見つかったこの時期の板碑に大半、北朝年号が刻まれて事から青梅地域は大凡北朝方の勢力圏であったと考えられています、しかし今井地区と隣接する今寺地区から見つかった三基の板碑のみ南朝年号が刻まれているのです、この点から今井城と今井地区は一時南朝方の勢力圏であったとも捉えられます。
小田原北条氏による改築?
さて文明14年以降に今井城は大々的な改築が行われていますが誰がその改築行ったのでしょうか?おのずと思い浮かぶのが小田原北条氏です、1563年(永禄6年)三田氏を滅ぼした北条氏照により在地支配の為、その新規改築がなされたと考えるのが最も近い答えでしょう、またそれ以前に青梅地域で勢力を確立した三田氏により改築されたとも考えられます、何れにせよ1563年の時点で今井城は北条氏の持ち城であった事は確かな事実です。青梅今井氏は今井左衛門径家以後に数代に渡ってこの城に居住し天正年間に断絶したと云われています、築城から勢力交代そして一族の断絶とその間に今井城と今井氏に何があったのかは今後の研究課題と成っています。