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勝沼氏館は日川の屈曲する段丘上に築かれた館です、館中心の郭の西側から南側にかけて日川が濠となり北側から東側には外周の郭が中心の郭を半面囲む形で設けられています、更に中心部から北東の方向には生活用の水路を備えた家臣団の屋敷群と見られる郭が在ります。 |
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主郭 |
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主郭は日川に隣接しその日川を南と西の濠として東から北面は土塁が設けられています。 |
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郭内からは台所、城主の居住する主屋とその背後に政務を行う「常の御座所」、接客の為の会所などの建物が見つかっています。 |
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(写真手前が常の御座所、左奥が主屋、右奥が台所、 右写真、会所) |
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郭内には台所、会所、御座所といたる所に排水及び上水設備が施されています。 |
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主郭を囲む外周の郭 |
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(外周の郭の西側の小口) |
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主郭の北側から東側にかけて外周の郭が設けられています、勝沼館は勝沼氏が入った16世紀前半と勝沼氏の滅亡後の16世紀後半の二度わたる改築が行われています、この郭は勝沼信友が入居した16世紀前半に構築されたと考えれています。 |
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主郭東の堀、小口 |
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主郭の東側は外周の郭が東側に細尾長く延びた形で二重の空堀となっています。 |
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(主郭東の小口) |
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主郭東面の内堀には木橋が架かり小口が開けられています、この小口の手前は屈曲して横矢がかけられる様になっています。 |
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北東の郭 |
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中心の郭から北東の位置にも郭が設けられていました、この郭から掘立柱の建物址が幾つか見つかっています、大凡家臣団の屋敷群と考えられ根古屋に相当する郭であったのでしょう。 |
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(館中心部と北東の郭の境の堀) |
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館の中心部と北東の郭の間に堀と土塁が設けられていました、堀が北東の郭側を向いている事から両方の区画は独立した領域では無く一体の城郭であったと考えられます。 |
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(堀中央の土橋、小口) |
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堀の中央には土橋が架けられ横矢の仕掛が施された小口が設けられています。 |
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堀兼用の上下水道 |
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北東の郭の南側は上下水道が区分けされた兼用の堀となっています、これは当時の城内生活の為の浄水設備です。 |
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北東の郭東側の大土塁 |
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北東の郭の東側には大土塁が設けられています、その手前の水濠は上水道と繋がる水溜となっています。 |
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(大土塁手前の堀、水溜址) |
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大土塁裏手の郭 |
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大土塁の裏手にも郭が存在し家臣の屋敷、厩、井戸などがありました。 |
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(厩址) |
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この郭には土塁の反対側の北東の郭と別に井戸、厩が存在することから北東の郭の屋敷群とは独立した屋敷が在ったと考えられます、大凡この一角は重臣クラスの屋敷跡であったのでしょう。 |
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(屋敷主屋址と井戸址) |
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