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装甲巡洋艦「浅間型」は日本海軍が対露、六六艦隊計画(戦艦及び巡洋艦を6隻づつ配備する計画)の一環としてイギリス「アームストロング社」で輸出用に建造中であった装甲巡洋艦2隻を急遽購入したものです。それら2隻は1899年5月と7月にそれぞれ横須賀へ到着し一等巡洋艦「浅間」、「常盤」と艦名が定められます。 | ||||
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装甲巡洋艦浅間の規模、装甲、機関 | ||||
浅間型は日本海軍初の装甲巡洋艦となります、その装甲巡洋艦と防護巡洋艦などのそれ以外の巡洋艦との違いですが特に定義はありません、広範囲に装甲が施されているものが装甲巡洋艦と称されています。 浅間の排水量は9700t、全長135m、最大幅20.5mと当時の戦艦と比較してスラリとした船体で装甲巡洋艦では基準的な大きさです。 |
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装甲厚は弦側水線部で178mm、甲板部で最大76mmと弦側水線部においては日本海軍が日露の海戦に向けて後々購入した4艦の装甲巡洋艦と同じです。 | ||||
機関は三段膨張式4気筒レシプロ機関が2基のスクリュー2基で18000hpの最大速力21.5ノットを発揮します、此れは他の4艦の装甲巡洋艦と比較していささか上回っています。 | ||||
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主砲45口径20.3cm砲 | ||||
(艦首側の連装砲塔) | (艦尾側の連装砲塔) | |||
主砲は当時の装甲巡洋艦としては標準とされる45口径20.3cm砲を連装砲塔に収め艦中央線上の艦首と艦尾に2基づつの計4門配置しています、この45口径20,3cm砲はアームストロング社製で後の4艦にも配備され最大射程が18000mで1分間に2発の装填が可能でした(戦艦の30.5cm砲弾の2倍)。 | ||||
当時の戦艦、巡洋艦としては一般的ですが主砲は前後2門づつ、弦側には4門向けられます。 | ||||
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副砲40口径15.2cm砲 | ||||
(左舷側に配置された15.2cm砲7門) | ||||
副砲の40口径15.2cm砲は片弦側艦首方向及び艦尾方向に砲郭に収められ2門づつの計4門、甲板上に2門、船体中央側面に1門の計7門、両弦側で14門配置されています、艦首及び艦尾側に配置された砲は弦側と艦首、艦尾にも向けられ前後、側面4門向けられます。 この40口径15.2cm砲は最大射程9100mで熟練砲兵なら毎分7発装填できたそうです。 |
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(艦首方向へ向けられた左舷艦首15,2cm砲2門) | (甲板上2門、船体側面1門の15.2cm砲) | |||
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40口径8cm砲 | ||||
(艦首甲板上の8cm砲2門) | (艦尾甲板上の8cm砲2門) | |||
対駆逐艦及び水雷艇用の40口径8cm砲は片弦側甲板上に4門、艦首、艦尾船体側面に2門、両弦側合計12門装備されています。 | ||||
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浅間の艦歴 | ||||
1899年、浅間は就役します、就役後最初の出撃は北清事変(義和団の乱)鎮圧でした、1904年2月日露戦争の勃発直後に浅間は第四戦隊に所属し防護巡洋艦5隻、水雷艇8隻と共に仁川港のロシア艦隊巡洋艦「ヴァリャーグ」、砲艦「コレーエツ」に砲撃をかけ自沈、自爆に追い込んでいます。日本海海戦では装甲巡洋艦隊である第二艦隊第二戦隊に所属しロシア艦隊と砲撃戦を展開しますが被弾し舵を破損してロシア艦隊からの集中砲火をあびせられ危うく難を乗り越えています。 第一次大戦で浅間はイギリス艦隊、カナダ艦隊、オーストラリア艦隊と共にドイツ東洋艦隊による商船破壊の警戒の為にメキシコ沿岸を航行していましたが座礁、本国からの巡洋艦、工作艦により救出されています。 第一次大戦後1921年に浅間は一等海防艦に定められ1942年には老朽化の為に主砲、副砲が撤去され練習艦となります、太平洋戦争終結後の1945年11月30日に事実上除籍、2年後の1947年に解体されています。 |
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装甲巡洋艦浅間 | ||||
基準排水量 | 9700t | 兵装 | ||
全長 | 13.47m | 45口径20.3cm連装塔 | 2基(4門) | |
最大幅 | 20.5m | 40口径15.2cm砲 | 14門 | |
40口径8cm砲 | 12門 | |||
機関 | 三段膨張四気筒レシプロ式2基、2軸推進 | 47mm単装砲 | 8門 | |
最大速力 | 21.5ノット | 45.7cm水上魚雷発射管 | 1基 | |
最大出力 | 18000hp | 45.7cm水中魚雷発射管 | 4基 | |
装甲厚 | 1896年起工 | |||
弦側水線部 | 178mm | 1898年3月進水 | ||
甲板部 | 最大76mm | 1899年3月就役 | ||
砲塔部 | 最大152mm | 1945年11月除籍 | ||
バーベット部 | 152mm | |||
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