関東、温泉と旅行記 | 横浜、鎌倉方面 | 近代の軍艦史 | ||
(外装、上甲板) | ||||
日露戦争時、連合艦隊の旗艦であり東郷平八郎提督が乗船した戦艦三笠の構造、仕様を見てみましょう、現在戦艦三笠は記念艦として横須賀港(三笠記念公園)に横付けされて内部は博物館となっています、主砲、副砲などはレプリカですが艦全体としては当時の状態を良好にとどめています。 | ||||
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戦艦三笠の仕様 | ||||
そもそも戦艦三笠は対ロシアとの戦線に向けて計画された「6,6艦隊計画」(弩級戦艦及び戦闘巡洋艦を6隻づつ海軍に配備する計画)の最終段階で建造された艦でイギリス、ヴィッカース造船所で建艦されイギリス海軍の戦艦ダンカンの同型艦です、当時、性能、規模共に世界一を誇るものでした。 | ||||
(現在のヴィッカース造船所) | ||||
(戦艦三笠の仕様) | ||||
発注 | 1898年 | 兵装 | ||
進水 | 1900年 | 40口径30,5cm砲 | 4門 | |
40口径15,2cm砲 | 14門 | |||
排水量 | 15,140t | 40口径7,62cm砲 | 20門 | |
全長 | 131、7m | 47mm砲 | 16門 | |
最大幅 | 23m | 45cm魚雷発射管 | 4門 | |
最大出力 | 15,000hp | |||
最大速力 | 18ノット | |||
乗員 | 800名 | |||
イギリス、ヴィッカース造船所建艦 | ||||
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40口径15,2cm砲 | ||||
まずは艦外周から見てみましょう、40口径15,2cm砲は三笠の副砲で上甲板に4門、中甲板に10門配備されています、その射程距離は45kgの砲弾を最大9,1kmまで飛ばす事ができたそうです、発射速度毎分6発前後で此れはロシア戦艦の同等の砲の約2倍、砲弾の破壊力もロシア海軍の砲弾を上回っていたと言います。 | ||||
15,2cm砲は副砲と言えども想像以上に大きかったです、砲の直ぐ隣にハンモックが吊るされていところを見ると砲兵は此処で寝泊りしていたのでしょう。 | ||||
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40口径7,62cm砲 | ||||
40口径7,62cm砲は合計20門配備されていました、補助砲と言う事で主に接近する駆逐艦、水雷艇など小型の艦艇をけ散らす為に使用されました。この砲は速射砲に分類され発射速度は毎分15発で射程距離は15,2cm砲よりも長く1,5kgの砲弾を10,7kmまで飛ばせます。 | ||||
(7,62cm砲発射状況) | ||||
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ロシア巡洋艦15cm砲盾、戦艦鎮遠の30cm砲弾 | ||||
(ロシア海軍巡洋艦バーヤンの15cm砲盾) | (戦艦鎮遠の砲弾) | |||
艦内へ入る階段の脇に「ロシア海軍巡洋艦バーヤンの15cm砲盾」と「戦艦鎮遠の砲弾」が展示されています、巡洋艦バーヤンの盾には砲弾が貫通した後が見られます、大きさからすると7,6cm前後の砲弾の様です、着弾した辺りの厚さは7,5cm程だそうです、この盾を見る限り7,62cm砲弾は比較的装甲の薄い甲板上部の装甲を貫通する程度の威力であったと考えられます。 | ||||
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艦尾40口径30,5cm主砲 | ||||
(後甲板) | (40口径30,5cm砲弾) | |||
入り口の階段を登ると後甲板に出ます、そこでまず目に入るのが三笠の主砲である40口径30,5cm連装砲塔です(砲はレプリカ)、この主砲は386kmの弾頭を13,7kmまで飛ばせました、その発射間隔は1分間に1発以上です。 | ||||
砲塔の直ぐ前に30,5cm砲の砲弾が展示されています、上記写真の片方が徹甲弾(装甲貫通性に優れた砲弾)もう一方が榴弾(炸裂力に飛んだ砲弾)(写真のどちらかは判別できませんでした)です、この弾頭で当時の戦艦の装甲20cm~30cm鉄板を貫通したと言います、ちなみに日露戦争時に日本海軍の30,5cm砲弾に詰められていた火薬量は徹甲弾で19kg、榴弾で39kg、それに対してロシア海軍は徹甲弾で5,3kg、榴弾で12,4kgでした、何れも日本海軍の砲弾が上回っています。 | ||||
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無線電信室 | ||||
(送信用電鍵) | ||||
後甲板から艦首に向かって歩いてみます、艦尾主砲の直ぐ裏側が無線電信室です、当時日本海軍は発明されたばかりの無線電信機を戦艦及び巡洋艦、駆逐艦に至るまで設置していました、マルコニー式の電信機で日本の安中製作所(現アンリツ)で製造された物です、この時代にはまだ無線電話機は無く電波形式はツートン、ツートンのモールス符号でした、飛距離は大よそ1800kmをカバーしたそうです。 | ||||
(受信機、印字機) | (アンテナ) | |||
受信機は印字機と一体に成っているようです、相手局から受信した電信波を「-・-・ --・-」と紙テープに印字して受信したのでしょう。上記ドラム状の形の物がアンテナと表記されていました、此れはドラムに長いアンテナ線を巻きつけてアンテナの長さを短くしているものと思われます。 | ||||
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艦側面の7,62cm砲 | ||||
(左舷側の76,2cm砲) | (右舷側の76,2cm砲) | |||
艦首へ進みます、艦の丁度中程の左舷と右舷のには先ほどの7,62cmのレプリカがズラリと配備されています、左右に動かす事ができます、左舷側の砲列の裏側がビデオ上映室です。 | ||||
(ビデオ上映室) | (猿島を睨む右舷76,2cm砲) | |||
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艦首40口径30,5cm連装砲塔 | ||||
(艦首40口径30,5cm連装砲塔) | (30,5cm連装砲塔と艦首甲板) | |||
艦首部へ着きました、戦艦三笠の艦首の主砲である40口径30,5cm連装砲塔のレプリカが配置されています、この主砲の内部は以下の通りです。 | ||||
まず弾薬庫から運び出された砲弾は砲弾庫で台座に載せられ揚弾筒(エレベーター)で上部へ持ち上げられます。 | ||||
揚弾筒から運び上げられた砲弾は砲身下部のクレーン室でクレーンで吊るされもう一つのエレベータに載せられます、そこから砲塔内部まで上げられまた台座に置かれ砲身へと押し込まれ発射となります。 | ||||
この砲塔の画期的な点は砲塔部と真下のクレーン室が一体化されているところです、此れにより砲塔が如何なる方向を向いていてもクレーン室の中心の揚弾筒より砲弾を取り出し砲身へ砲弾を装てんできる事です、要するに砲塔を回転させながら砲弾を装てんできるのです、戦艦三笠の前々弩級艦である富士型戦艦までは砲塔が単独駆動していたので砲弾発射から一度砲身を前方に戻し砲弾を吊り上げ装てん、その後次ぎの標的に向けて砲塔を回転させなければならず、二度手間、三度度手間の作業となり砲弾の発射間隔は非常に時間を要していました、前弩級艦である敷島型戦艦からは砲塔下部の砲弾供給設備が砲塔と一体化されますが砲弾庫事砲塔と同時に回転させる方式であったので設備が大変大掛かりなものでした、戦艦三笠の砲弾供給方式はそれを簡素化したもので当時としては最新式であり毎分1発以上の砲弾発射を可能にしたのです。 | ||||
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艦橋部 | ||||
次に艦橋部を見てみます、三笠の艦橋は操舵室と海図室の2区画に分かれています、手前側が操舵室で羅針盤、操舵輪、速度計などがあり航行中の操舵、艦内指揮は此処で行います、その裏手が海図室です。 | ||||
(操舵室) | (海図室) | |||
(信号探照灯) | (メインマスト) | |||
艦橋の左右には外部の艦船と連絡を取り合うためのライト(信号探照灯)が一基ずつ設置されています、上を見上げるとメインマストが高々と立っています、このメインマストは信号旗を掲げるのに使われていました、また策敵用のデッキもあります、レーダーも航空機も無い時代、より高いマストの上に登り策敵を行っていました、謂わばこのデッキは帆船時代の名残です。 | ||||
(最上甲板の羅針盤と照準機器) | ||||
艦橋上部の最上甲板に上がってみます、此処には羅針盤と砲撃戦の際に敵艦船の位置と距離を測る照準器が設置されています。 | ||||
(前部司令塔) | ||||
艦橋の真下が前部司令塔です、羅針盤、操舵輪、速力系、艦内通信機などがあり回りを35cmの厚い鉄板がグルリと囲んでいます、航海中など平時においての操舵、艦内指揮は上部の操舵室で行います、戦闘が開始されると厚い装甲で囲まれたこの操舵室で行われます、所謂シェルターデッキです、しかし日本海海戦において東郷平八郎提督は最上艦橋に居て戦況が一段落するまで敵砲弾の水しぶきを浴びながら一歩もそこを動かなかったそうです。 | ||||
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日露の海戦で戦艦三笠と共に活躍した軍艦 | ||||
戦艦敷島 | 戦艦富士 | 装甲巡洋艦春日 | 装甲巡洋艦出雲 | |
装甲巡洋艦吾妻 | 装甲巡洋艦八雲 | 装甲巡洋艦浅間 | 防護巡洋艦松島 | |
2等戦艦鎮遠 | 2等戦艦扶桑 | 戦艦八島 | 防護巡洋艦橋立 | |
防護巡洋艦吉野 | 戦艦初瀬 | 戦艦朝日 | 装甲巡洋艦日進 | |
装甲巡洋艦常磐 | 装甲巡洋艦磐手 | 防護巡洋艦笠置 | 防護巡洋艦高砂 | |
防護巡洋艦和泉 | 防護巡洋艦須磨 | |||
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日本露の海戦、ロシア艦隊主力艦 | ||||
戦艦ボロジノ | 戦艦オスリャービャ | 戦艦シソイヴェリキー | 戦艦ナヴァリン | |
戦艦インペラートルニコライ1世 | 装甲巡洋艦アドミラル ナヒモフ |
戦艦ツェサレーヴィチ | 戦艦レトヴィザン | |
戦艦ポルタヴァ | 戦艦ペレスヴェート | |||
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近代の軍艦史 | ||||