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戦艦ボロジノ級   
         
         
   
         
 1890年代後半、ロシア帝國、大日本帝國の間で緊張が高まる中、日本海軍は30.5cm砲を主砲とする主力戦艦を相次いでイギリスに発注します、此れに対抗すべくロシア海軍も30、5cm砲を主砲とする戦艦「ツェサレーヴィチ」をフランスに発注しそのツェサレーヴィチをベースに30.5cm砲4門搭載した13000t級の戦艦ボロジノ型4隻を国内で建造します、此れが日本海海戦でバルチック艦隊の主力となる戦艦「ボロジノ」、「スヴォーロフ」、「アレキサンドル3世」、「オリョール」の4隻です。  

 
         
戦艦ボロジノ級の規模、装甲、機関   
         
 
 ボロジノ級の全長は121m、最大幅23mで喫水線より上部が比較的高く造られ横幅も広くドッシリとした形状のいかにも戦艦らしいシルエットです、基準排水量は13500tとロシア海軍最大規模の戦艦でした。   
   
 これらボロジノ級の4隻は戦艦ツェサレーヴィチをベースとしてロシア国内で設計されたものですが設計上の不備により船体重量が加算し弦側の装甲を薄くせざるおえなくなりました、当時のロシアの造船技術ではフランスの高い造船技術に追いつくのがいささか困難であったのでしょう。弦側装甲は152mmから最大で194mmと日本海軍の敷島型弦側装甲229mm(水線部)と比較して1ランク低い装甲厚でした、この装甲の薄さが日本海海戦での激しい砲撃戦において災いとなるのでしす。
 ボロジノ級の甲板部装甲厚は75mm、主砲塔前面盾で254mmとこちらは標準的と言えるでしょう。  
 
   
 機関はべルヴィール式ボイラー20基に三段膨張式4気筒レシプロ機関2基で2基のスクリューを回転させます、これにより最大出力16300hp、最大速力17,8ノットが発揮できます、速力においてはまずまず、出力は日本海軍の機関「戦艦三笠」を上回るものです。   

 
         
主砲30.5cm連装砲塔   
         
 
 (艦首40口径30.5cm連装砲塔)  (艦尾40口径30.5cm連装砲塔)  
         
 主砲は1895年式40口径30.5cm砲を連装砲塔に収め前後に1基づつ配備されています、40口径30.5cm砲は当時の戦艦では標準的な主砲で敷島型も同様に40口径30.5cm砲4門を配備しています、しかし最大射程はボロジノ級が14640mと敷島型より上でした。
 この1895年式40口径30、5cm砲は1分間隔で1発の発砲が可能であり5500mの距離で20cm以上の装甲が貫通できたと言います。
 
   
(左舷方向に向けられた最大4門の主砲)   

 
         
副砲45口径15,2cm砲   
         
 
(右舷側の45口径15,2cm連装砲塔3基)   
         
 副砲は45口径15.2cm砲を連装砲塔に収め両弦側甲板上に3基づつの計6基12門を配備しています、見るべき所はこの副砲を連装砲塔に収めた事でこの配置により側面に6門、前後には8門もの副砲が向けられます、当時副砲は砲郭に収めるのが標準であり、この点においては画期的でしょう。これら15,2cm砲は最大射程が11500mで5500m距離においては43mmの装甲を貫通し1分間に1門あたり3発の発射ができました、砲弾の発射数では敷島型の副砲40口径15,2cmが1分あたり最大5~7発であった事を考えるといささか非力に思えますが最大射程でボロジノの副砲は11500m、敷島型は9140mと敷島型より上でした。  

 
         
50口径75mm砲   
         
   
(右舷船体側面中央に配置された50口径7,5cm砲6門)   
         
 対水雷艇用に50口径75mm砲が両弦側の側面に10門づつ、計20門が配置されていました、この50口径75mm砲はフランス「カネー社」製の砲をライセンス生産したもので最大射程7869m、毎分12発もの速射が可能でした。さらにボロジノ級には近距離戦用のオチキス43.5口径47mm速射砲が20門甲板上に備えられています。   
 
 (右舷艦首船体側面に配置された50口径7,5cm砲2門)   (右舷艦尾船体側面に配置された50口径7,5cm砲2門)  

 
         
日本海海戦でのボロジノ級4隻   
         
 1903年11月、1番艦ボロジノより先に2番艦のアレキサンドル3世が完成します、1904年8月にボロジノが完成、9月にはスヴォーロフ 、オリョールが完成しました、その後5番艦のスラヴァも竣工していますがこの艦は海戦にまにあいませんでした。就役したボロジノ戦艦4隻は次々に「太平洋第二艦隊」(バルチック艦隊)へ編入され1904年10月15日戦艦スヴォーロフをバルチック艦隊の旗艦としてリバウ港からウラジオストックへ向けて出港します、艦隊は1905年3月にマダガスカル島を経由、5月27日には対馬海峡に到着します。  
   
 27日の午後にバルチック艦隊は日本艦隊と遭遇、この時ボロジノ級の4隻は艦隊の主力としてバルチック艦隊の最前に縦列しています、その先頭は艦隊旗艦スヴォーロフ、それに続きアレキサンドル3世、ボロジノ、オリョールの順です。ボロジノ級4隻は日本艦隊へ先制攻撃をかけます、すると日本艦隊は東北東へ向けて方向転換を開始、バルチック艦隊の進路を塞ぎ一斉砲撃を開始します、まずその標的とされたのは旗艦スヴォーロフで日本艦隊から集中砲火をあびてあえなく戦線離脱しています。   
   
 その後も日本艦隊は進路変更、ターンを繰り返しながらバルチック艦隊の進路を塞ぎつつ激しい砲撃を仕掛けます、双方序所に損傷が見られバルチック艦隊においては指揮が完全にみだれていました、それ故に艦隊は敗走を余儀なくされ格艦チリジリにウラジオストックを目指します。   
   
 その最中に戦艦ボロジノは艦隊の先頭に立ち負傷しながらも応戦を繰り返して後続の艦を先導します、しかし力つきて右舷へ横転しながら海中へと没してしまいます。このボロジノの行動は敵ながら賞賛すべきものでしょう。   
   
(海中へと没するボロジノ)   
         
 ボロジノに続き後続のアレキサンドル3世も撃沈されています。   
   
(撃沈される戦艦アレクサンドル3世)   
         
 さて戦線離脱した艦隊旗艦スヴォーロフは一旦戦列に戻りますが日本艦隊の猛攻に耐え切れず再度戦線を離脱、その後日本海軍の水雷船隊の魚雷攻撃により撃沈されました、この時バルチック艦隊司令長官ロジェストウエンスキー提督は駆逐艦に救出されていますが日本艦隊に捕えられ捕虜と成っています。  
   
 最後の1隻である戦艦オリョールは日本側に降伏し海戦後、戦艦石見として帝國海軍へ編入されました。   

 
         
戦艦ボロジノ   
         
 基準排水量  13516t  兵装  
 全長  121m  40口径30、5cm連装砲塔  2基4門
 最大幅  23,2m  45口径15.2cm連装砲塔  6基12門
     50口径7、5cm砲  20門
 機関  べルヴィール式ボイラー20基、三段膨張式4気筒レシプロ機関2基2軸推進  オチキス47mm機関砲  20門
 最大出力  16300hp  38.1cm水中魚雷発射管  2基
 最大速力  17.8ノット  38.1cm水中魚雷発射管  2基
       
 装甲厚    1899年7月起工  
 弦側  152mm~194mm  1901年9月進水  
 甲板部  最大75mm  1904年8月竣工  
 砲塔前盾  254mm  1905年5月27日戦没  
 バーベット部  220mm    
 

 
         
         
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