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1895年6月ロシア海軍初の基準排水量10000t超、主砲30.5cm砲4門備えた戦艦ナヴァリンが起工されます、当初ロシア海軍ではこの様な軍艦を艦隊装甲艦に位置付けていましたが規模、装甲、火力の面で当時の戦列艦と同等な為に仮想敵国である日本側では戦艦と認識していました。この戦艦ナヴァリンはイギリスの戦艦トラファルガー級を意識して建造されたもので低い甲板、幅広い船体、箱型の艦上構造物、並列に2本づつ前後に配置された4本煙突などトラファルガー級との類意点が幾つか見られるのが特徴です。 |
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戦艦ナヴァリンの構造、装甲、機関 |
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戦艦ナヴァリンの全体像を簡単に説明すると基準排水量10200t、全長105.9m、最大幅20.4mで水線部から甲板までの高さが非常に低い構造であり横幅が広く平べったい船体と成っています、この船体構造は艦の安定性が良く低い船体の為に敵艦からの側面直撃弾を受けにくい特徴がありますが機動性を損なう難点もありました。 |
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この艦の装甲は船体側面中央部を重視して両弦側中央部は406mmもあります、甲板装甲も2重構造の合計最大114mmで全体的に非常に重圧な装甲であり総体的には速力、旋回力などは落ちるもののドッシリとした船体に重圧装甲の海上要塞の様な戦艦でした。 |
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機関は三段膨張式の往復機関2基で2基のスクリューを回転させ最大出力9194hp、最大速力は15.85ノットまで引き出せますくが、やはり重圧な装甲と横幅の広い船体の為に速力は当時の戦艦として多少遅いように思われます。 |
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主砲1886年式35口径30.5cm砲 |
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(艦首35口径30、5cm連装砲塔) |
((艦尾35口径30、5cm連装砲塔) |
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ナヴァリンの主砲は1886年式35口径30.5cm砲を連装砲塔に収め艦首と艦尾の甲板上に1基づつ配備されています、この30.5cm連装砲塔の配置は後年に前弩級戦艦の基準となりますが(イギリス戦艦ドレッドノート出現まで)ナヴァリンの1886年式35口径30.5cm砲は黒色火薬を使用した既に旧式の砲で日本海海戦前に改装されています。 |
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(右舷側に向けられた主砲4門) |
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ナヴァリンの副砲 |
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(右舷甲板上構造物側面に配置された35口径15.2cm砲4門、43口径47mm砲4門) |
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副砲の35口径15.2cm砲は甲板上の構造物両側面に4門づつの計8門装備され対水雷艇用の43口径47mm砲は同じく構造物側面に4門づつの8門と甲板構造物上に10門で計18門が配備されています。 |
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(甲板構造物上に配置された対水雷艇用47mm砲) |
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また対水雷艇砲として23口径37mm砲がミリタリーマスト監視楼とうに12門備えられていました。 |
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(ミリタリーマスト監視楼に備えられた23口径37mm砲) |
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戦艦ナヴァリンの艦歴 |
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戦艦ナヴァリンは1889年7月に起工され1895年6月に竣工されました、就役後にはバルト艦隊に編入され極東、地中海に派遣されています。その後1900年6月に勃発した北清事変の鎮圧の為に国際連合艦隊に加わり軍事行動を行い北清事変後には一旦本国に帰還し修復、改装がなされています、改装されたナヴァリンは太平洋第2艦隊(バルチック艦隊)に配属されウラジオストックへと出港します。 |
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(対馬水道を通過する太平洋第二艦隊第二戦艦部隊の先頭を進む戦艦オスリャービャ) |
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1905年5月27日バルチック艦隊は対馬沖に到達しています、バルチック艦隊において戦艦ナヴァリンは戦艦オスリャービャを戦隊旗艦とする第二戦艦部隊に所属していました、対馬水道を通過する時点で第二戦艦部隊は主力艦4隻(戦艦スヴァーロフ、アレクサンドルⅢ、ボロジノ、オリョール)で編制された第一戦艦部隊の左舷やや斜め後方を戦艦オスリャービャ先頭にナヴァリン、シソイヴェリキーの順に航行していました。 |
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(オスリャービャに続くナヴァリン、シソイヴェリキー) |
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13時45分、日本艦隊と遭遇、ロシア艦隊側から先制攻撃がかけられます、その後日本艦隊がバルチック艦隊の直前で左舷方向に進路変更しバルチック艦隊の進路を塞ぎつつ一斉砲撃を開始、戦隊の先頭に位置していたオスリャービャは多数の直撃弾を受けて戦線離脱し沈没します。 |
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(ナヴァリンの直前で炎上戦線離脱するオスリャービャ) |
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オスリャービャが撃沈された事にでナヴァリンは艦隊の先頭に立ちますがこの時点でナヴァリンもオスリャービャの流れ弾を多数受けて炎上、更に後続のシソイヴェリキーも炎上します。それによりナヴァリンは機関に損傷を受けて艦隊から取り残され自ずと戦線離脱、その後日本海軍の駆逐艦の水雷攻撃により撃沈されます。 |
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(炎上するナヴァリン、シソイヴェリキー) |
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戦艦ナヴァリン |
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基準排水量 |
10200t |
兵装 |
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全長 |
105.9m |
35口径30.5cm連装砲塔 |
2基 |
最大幅 |
20.4m |
35口径15.2cm砲 |
8門 |
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43口径47mm砲 |
18門 |
機関 |
三段膨張式レシプロ機関2基2軸推進 |
23口径37mm砲 |
12門 |
最大出力 |
9194hp |
陸戦用63.5mm野砲 |
2門 |
最大速力 |
15.85ノット |
381mm水上魚雷発射管 |
6基 |
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装甲厚 |
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1889年7月起工 |
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装甲材質 |
(木材、金属の複合体装甲) |
1891年9月進水 |
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弦側水線部 |
最大406mm |
1895年6月竣工 |
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甲板部 |
最大114mm |
1905年5月戦没 |
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砲塔部 |
305mm |
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