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日清戦争勃発の10ヶ月前、1893年9月世界最速の軍艦吉野が就役しました、その大きさ基準排水量4200t、全長110m、最大幅14mと非常にスリムな船体で最大速力は23ノットまで発揮します、完成当時は世界で最も優秀な巡洋艦と称されていました。 | ||||
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吉野の船体 | ||||
防護巡洋艦吉野はイギリスのエルジェク造船所で建造されています、その全長は110m、最大幅は14mとホッソリした船体で当時の水雷艇に匹敵する速力23ノットまで引き出せるのが最大の特徴でした、吉野以前の巡洋艦は最大速力20ノットまで届かず、それ故吉野は高速巡洋艦とも呼ばれていました。 | ||||
装甲厚は甲板傾斜部で115mmと仮想敵国である清国の主力艦「定遠」、「鎮遠」の最大装甲厚355mmには及びませんが当時の巡洋艦としては十分です、この時代、速力が最大の防御と考えられていた事から敵の砲撃をスピードでかわすのが巡洋艦の最もな防御であったのです。 | ||||
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吉野の兵装 | ||||
(艦首部に備えられた主砲40口径15.2cm砲3門) | ||||
吉野の砲は全て防弾盾で覆われた速射砲です、主砲は40口径15,2cm砲で艦の中心線上の艦首、艦尾甲板上に1門づつと艦首両弦側甲板上に1門づつの合計4門が装備されています、副砲は40口径12cm砲で両弦側甲板上に4基づつ計8門が備えられています。 | ||||
(艦尾甲板上に配備された15.2cm砲1門) | (弦側甲板上に並ぶ副砲12cm砲4門) | |||
これら砲の配置により艦前方には主砲である15.2cm砲3門が向けられ、後方には15.2cm砲1門と副砲の12cm砲2門が向けられ、弦側は15.2cm砲2門と12cm砲4門が向けられる事となります。 さてこの15.2cm砲を主砲とした速射砲でまとめた砲配備ですが当時帝國海軍が主力としていた「松島」、「鹿島」 、「橋立」に装備された巨大砲38口径32cm砲が実戦で約にたたない事から黄海海戦(日清戦争)で15.2cm砲、12cm砲を連発する戦術を取らざるおえなくなります、しかしその戦法が効して日本を勝利に導く事ができたのです、また後年2次大戦で高速巡洋艦、軽巡(日本では2等巡洋艦)の主砲が15cmクラスを標準としていた事から吉野の砲配備は先進的と言えるでしょう。 |
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(弦側に向けられた主砲と副砲) | ||||
更に吉野には対水雷艇用の47mm砲が22門も装備されています、47mm砲の威力はさほどありませんが接近する水雷艇に対して数にものを言わせメチャクチャ発砲する考えであったのでしょう。 | ||||
(甲板に備えられた47mm砲) | ||||
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黄海海戦での吉野の活躍 | ||||
日清戦争最大の海上戦である黄海海戦で吉野は第一遊撃隊の旗艦として「高千穂」、「秋津州」、「浪速」を率いて連合艦隊の先頭を進行します、吉野に追従する3隻は何れも最大速力18ノット強を誇る高速巡洋艦です。 | ||||
正午過ぎ海戦が開始されると清国北洋艦隊は横一線に並び砲撃をかけながら衝角攻撃、所謂突撃攻撃をかけてきました、装甲の弱い日本艦の側面に艦首ラムでドツイテ沈め一気に決着をつけようとしたのです、吉野を先頭とする第一遊撃隊は突撃をかける敵艦に速射砲を次々発砲し北洋艦隊巡洋艦「超勇」を撃沈、同じく巡洋艦「揚威」を大破させ戦線離脱させています、そして更に突進する艦を持ち前の速力で交わします、速力で劣る北洋艦隊の軍艦は日本側の艦に取り付く事ができませんでした。しかしこの時吉野は甲板に被弾、炎上しながら砲撃を続行します。 | ||||
海戦も終盤戦となり第一戦隊は旗艦「松島」率いる連合艦隊本隊と連携し北洋艦隊に十字砲火をあびせます、この砲撃により北洋艦隊で撃沈できたのは装甲巡洋艦「経遠」1隻のみでしたが主力艦の「定遠」。「鎮遠」をはじめ敵各艦に大打撃を与え戦線離脱させること事に成功します、それにより海戦は日本海軍の勝利となりました。 | ||||
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吉野の最後 | ||||
日清戦争終結後に吉野型2番艦の高砂が就役 します、吉野はその後の日露戦争で旅順攻撃に加わり戦闘終了後の帰路、巡洋艦「春日」と激突しそのまま沈没してしまいます、また吉野が沈没した1904年5月15日には連合艦隊の主力戦艦「初瀬」と「八島」がロシアの仕掛けた機雷に触れ沈没、この日は日本海軍の災いの一日でした。 | ||||
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防護巡洋艦吉野 | ||||
基準排水量 | 4200t | 兵装 | ||
全長 | 110m | 40口径15.2cm砲 | 4門 | |
最大幅 | 14,2m | 40口径12cm砲 | 8門 | |
47mm砲 | 22門 | |||
機関 | 4気筒レシプロ式2基2軸 | 35.6cm水上魚雷発射管 | 5基 | |
最大速力 | 23ノット | |||
最大出力 | 15900hp | 1892年3月起工 | ||
1892年12月進水 | ||||
装甲厚 | 1893年9月就役 | |||
甲板水平部 | 45mm | 1904年5月沈没 | ||
甲板傾斜部 | 115mm | |||
主砲防弾盾 | 115mm | |||
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