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黄海海戦1(日清戦争)   
         
         
   
         
 1894年7月25日豊島沖海戦を期に日清戦争が勃発します。日本側は清国の主力艦隊である北洋艦隊をせん滅し制海権を握る計画を立てていましたが西欧諸国の加入で講和に持ち込もうとしていた清国側は戦力温存を図っていた為に連合艦隊は北洋艦隊となかなか遭遇する事ができませんでした。   

 
         
北洋艦隊発見   
         
 1984年9月16日北洋艦隊は陸兵4000人を乗せた輸送船団を護衛して大連湾から大狐山へと向かい大狐山への上陸作戦を支援した後にその沖合いで砲撃訓練を行っていました。その報告を受けた連合艦隊本隊及び第一遊撃隊は停泊地の朝鮮半島西端チョッペク岬を出港します、9月17日午前10時50分、連合艦隊は東北東方面に立ちのぼる煙を発見します、北洋艦隊です、北洋艦隊も同様に連合艦隊からの煙を確認しました。  
   

 
連合艦隊と北洋艦隊の陣形   
         
 連合艦隊は北洋艦隊に向け突入、前衛は高速巡洋艦の4隻で編制された第一遊撃隊、後続は防護巡洋艦6隻で編制された本隊が単縦陣形で航行します。
 先陣を切る第一遊撃隊の先頭は艦隊指令官「坪井航三少将」が乗船する高速巡洋艦「吉野」です。
 
   
(先頭の巡洋艦吉野)   
         
 吉野に続くのは巡洋艦「高千穂」です。  
   
(吉野に続く高千穂)   
         
 その高千穂に続き巡洋艦「秋津島」、高千穂の同型艦で後の連合艦隊司令長官「東郷平八郎」が艦長を勤める巡洋艦「浪速」の順で一直線に連なって航行していました。これらの4隻は何れも最大速力18ノット超の高速巡洋艦で、特に吉野は最大速力23ノットと竣工時には世界最速の巡洋艦でした。  
   
(後続の秋津島、浪速)   
         
 連合艦隊本隊は第一遊撃隊の右舷側やや後方を旗艦「松島」を先頭に同じく一直線状に航行していました。   
   
 (連合艦隊旗艦松島)   
         
 連合艦隊司令長官「伊藤祐亨中将」が乗船する旗艦松島に次いで三等巡洋艦「千代田」、旗艦松島の同型艦の防護巡洋艦「厳島」、「橋立」、コルベット艦の比叡、甲徹艦の「扶桑」の順に列をなしていました。  
   
 (三等巡洋艦千代田)   
         
    
(旗艦松島の同型艦厳島、橋立)   
         
   
(後続のコルベット艦比叡と甲徹艦扶桑)   
         
 更に連合艦隊本隊の左舷側には仮装巡洋艦「西京丸」と砲艦「赤城」が随行していました、当初この2艦は参戦の予定はありませんでしたが策敵任務中に本隊に合流、作戦に加わる事になります。   
   
(本隊左舷側を随行する西京丸と赤城)   
         
 以上合計12が連合艦隊の艦船で以下イメージ図の様に単縦陣形をなしていました。   
   
(海戦直前の連合艦隊の単縦陣形)   
         
  一方、北洋艦隊の丁汝昌提督は1866年の普墺戦争におけるリッサ海戦でイタリア海軍カルロ・ベルサーノ大将が用いた横列陣を真似て同様な陣形で連合艦隊を迎え撃ちます、この陣形は衝角攻撃(船体の先端の突起であるラムにより敵艦の側面に激突させる戦法)を重視したものです。  
   
(北洋艦隊の用いた横列陣)   
         
 北洋艦隊は左舷側から「済遠」、「広甲」、「致遠」、「経遠」、旗艦「定遠」、定遠の同型艦「鎮遠」、「来遠」、「靖遠」、「靖遠」、「超勇」、「揚威」の順に横一線に並びその後方には別働隊として装甲巡洋艦「平遠」の率いる水雷船隊が待機していました。   
   
(北洋艦隊別働隊)   
         
 海戦直前の連合艦隊及び北洋艦隊の陣形と位置関係は以下の図の様になります。  
   
 さて北洋艦隊には決め手と成り得る二隻の戦艦が存在していました、陣形中央に陣取る旗艦「定遠」とその姉妹艦「鎮遠」です、この二隻はドイツで建造された排水量7000t超の大型戦艦で主砲30cm砲を4門装備しています、連合艦隊の旗艦松島と姉妹艦「厳島」、「橋立」に此れを上回る32cm砲が一門づつ装備されていましたが船体の大きさに対して砲が巨大すぎる為に発砲時に船体が傾くなど障害が起こりあまり役立つものではありません、連合艦隊にはこの2隻と互角に戦える艦は存在しませんでした。  
   
(北洋艦隊横列中央に位置する定遠と鎮遠)   

 
         
黄海海戦に参戦した軍艦   
         
 ここで黄海海戦での連合艦隊と北洋艦隊の戦力を比較してみましょう。   
連合艦隊 
 防護巡洋艦松島  防護巡洋艦厳島  防護巡洋艦橋立  三等巡洋艦千代田
 1892年就役
 排水量4278t
 最大速力16ノット
 32cm砲1門
 12cm砲12門
 7.62cm砲6門
 連合艦隊本隊
 1891年就役
 松島の姉妹艦
 排水量4217t
 最大速力16ノット
 32cm砲1門
 12cm砲12門
 7.62cm砲6門
 連合艦隊本隊
  1894年就役
 松島の姉妹艦
 排水量4217t
 最大速力16ノット
 32cm砲1門
 12cm砲12門
 7.62cm砲6門
 連合艦隊本隊
 1891年就役
 排水量2439t
 最大速力19ノット
 12cm砲10門
 連合艦隊本隊
       
 コルベット装甲艦比叡  甲鉄艦扶桑  防護巡洋艦吉野  防護巡洋艦高千穂
 1878年就役
 機帆艦
 排水量2250t
 最大速力13ノット
 17cm砲3門
 15cm砲6門
 7,62cm砲2門
 連合艦隊本隊
 1878年就役
 排水量3717t
 最大速力13ノット
 24cm砲4門
 15.2cm砲10門
 12cm砲2門
 連合艦隊本隊
 1893年就役
 排水量4200t
 最大速力23ノット
 15.2cm砲4門
 12cm砲8門
 第一遊撃隊
 1886年就役
 排水量3700t
 最大速力18ノット
 26cm砲2門
 15cm砲6門
 第一遊撃隊
 
       
 防護巡洋艦秋津州  防護巡洋艦浪速  砲艦赤城  西京丸
 1890年就役
 排水量622t
 最大速力10ノット
 12cm砲4門
 1888年就役
 排水量2904t
 最大速力12ノット
 12cm砲1門
 5.7cm砲1門
 1894年就役
 排水量3150t
 最大速力19ノット
 15.2cm砲4門
 12cm砲6門
 第一遊撃隊
 1886年就役
 高千穂の姉妹艦
 排水量3700t
 最大速力18ノット
 26cm砲2門
 15cm砲6門
 第一遊撃隊

       
北洋艦隊 
 戦艦定遠  戦艦鎮遠  防護巡洋艦超勇  防護巡洋艦揚威
 1881年就役
 排水量1380t
 最大速力16.5ノット
 25.4cm砲2門
 12cm砲4門
 
 1881年就役
 超勇の姉妹艦
 排水量1380t
 最大速力16.5ノット
 25.4cm砲2門
 12cm砲4門
 188年就役
 排水量7200t
 最大速力14.5ノット
 30.5cm砲4門
 15,2cm砲4門
 1885年就役
 定遠の姉妹艦
 排水量7200t
 最大速力14.5ノット
 30.5cm砲4門
 15,2cm砲4門
       
 防護巡洋艦致遠  防護巡洋艦靖遠  装甲巡洋艦經遠  装甲巡洋艦来遠
 1887年就役
 排水量2300t
 最大速力18ノット
 21cm砲3門
 15.2cm砲2門
 5,7cm砲8門
 1887年就役
 致遠の姉妹艦
 排水量2300t
 最大速力18ノット
 21cm砲3門
 15.2cm砲2門
 5,7cm砲8門
 1887年就役
 排水量2900t
 最大速力15.5ノット
 21cm砲1門
 15cm砲2門
 7.5cm砲2門
 1887年就役
 經遠の姉妹艦
 排水量2900t
 最大速力15.5ノット
 21cm砲1門
 15cm砲2門
 7.5cm砲2門
       
 巡洋艦広甲  防護巡洋艦済遠  装甲巡洋艦平遠  防護巡洋艦広丙
 1887年就役
 排水量1290t
 最大速力14.2ノット
 15cm砲1門
 10.5cm砲4門
 5.7cm砲4門
 1885年就役
 排水量2355t
 最大速力15ノット
 21cm砲1門
 15cm砲1門
 1890年就役
 排水量2100t
 最大速力10,5ノット
 26cm砲1門
 15cm砲2門
 別働艦隊
 1891年就役
 排水量1000t
 最大速力17ノット
 15cm砲3門
 5.7cm砲4門
 別働艦隊
       
 水雷艇福龍  水雷艇第一号    
 1886年就役
 排水量115t
 最大速力20ノット
 36cm水上魚雷発射管4門
 別働艦隊
 別働艦隊    
 (連合艦隊計12隻、北洋艦隊計14隻、戦艦及び巡洋艦の5cm未満の砲と魚雷の装備は省略)
 
 連合艦隊の合計排水量40000tに対して北洋艦隊の合計排水量は35000tです、これは定遠、鎮遠の7200t級の戦艦が2隻有りながら北洋艦隊の巡洋艦クラスの艦が1000t~2900tと比較的小振な為に合計排水量が北洋艦隊より連合艦隊が上回っているのです、また速力も北洋艦隊が平均14ノットに対して連合艦隊16ノットとこちらも連合艦隊が上回っています、さて肝心の火力ですが北洋艦隊には定遠、鎮遠に装備された30.5cm砲計8門があります、連合艦隊のそれに対抗する火力である松島、橋立、厳島に装備された32cm砲計3門ですがこの砲、船体の大きさにそぐわない巨砲で艦の安定を悪くした上に向けた方向に艦が傾くなどの障害が多い大砲であり役に立たないものでした、その為に黄海海戦では三艦でわずか13発しか発射していませんでした。ではその他の砲は北洋艦隊が20cm以上14門、連合艦隊6門と火力においはて北洋艦隊有利と思われますが連合艦隊側には67門もの速射砲が装備されていたのに対して北洋艦隊はわずか6門です、これにより連合艦隊は北洋艦隊よりも数多く砲弾を発砲する事が可能でした。しかし戦艦定遠、鎮遠の重装甲に対して口径の小さい速射砲では非力であり実際のところ黄海海戦で定遠、鎮遠の装甲は一発も貫通していません、それ故に定遠、鎮遠の艦上の砲塔、砲郭にメチャクチャ速射砲を打ち込んで戦闘不能としたのです。  

 
         
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