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1886年8月長崎港に清国北洋艦隊の一団が整備の為に入港します、その中で一際目を引いたのは2隻の巨大戦艦「定遠」と「鎮遠」でした、その2隻は同型艦で基準排水量7200t、全長91mの船体に当時最大とされる30.5cm砲を4門搭載したまさに超一級の戦艦です、当時日本と清国は朝鮮半島問題などで衝突しあう仮想敵国同士であり将来戦闘は免れ無い状況でした、しかし日本海軍には「定遠」、「鎮遠」に対抗しうる軍艦は無く、最大級の軍艦扶桑においては排水量3700tと半分程の大きさで主砲も旧式の24cm砲が4門と十分な兵装とは言いがたいものでした、そこで明治政府はそれら2隻と対等に張り合える巨大砲を搭載した3隻の軍艦「松島」「橋立」「鹿島」の建造に踏み切ったのです。 | ||||
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三景艦の建造 | ||||
(松島と同型艦橋立) | ||||
明治政府は32cmもの巨大砲を搭載した4200t級の同型巡洋艦2隻をフランスに発注しそれら2隻の建造技術を取得する為に三番艦の建造は国内横須賀海軍造船所で起工します。 | ||||
(松島) | ||||
それら3隻は日本三景にちなんでフランス発注の2隻を「松島」、「鹿島」、国内建造の1隻を「橋立」と命名し総じて三景艦と称しました、松島型3隻は細身のスマートな船体で優美さが感じられます、三景艦の名に相応しい船型です。 | ||||
(真上から見た松島) | ||||
松島型は基準排水量4200t、全長89mと鎮遠、定遠より小ぶりながらそれらの主砲を上回る32cm砲を1門搭載し最大速力16ノット(橋立は11ノット、鎮遠、定遠は14ノット)まで発揮します、装甲に関しては甲板が最大51mm、弦側水線部には膨らみを持たせた防護装甲75mmが張られています、いささか防御としては非力に思われますが松島型を巡洋艦とするならば当時としては標準的な装甲と言えるでしょう。 | ||||
(膨らみを持たせた松島の弦側装甲) | ||||
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主砲38口径32cm砲 | ||||
松島の主砲はフランスカネー社製の38口径32cm砲で艦の中心線上艦尾側に1門配置されています(鹿島、橋立は艦首配置)、この32cm砲はカバーの付いた露天砲塔に収められ左右140度づつの砲口回転が可能で側面射撃もできます、その性能は大よそ8000mの距離で徹甲弾により330mmもの装甲を貫通できたそうです、射程、破壊力共に定遠型の30.5cm砲を上回るものですが4200tの小さな船体にはあまりも巨大な砲であり砲口を側面に向けると艦が傾き発砲するとその衝撃で艦の向き変わってしまう程でした、また砲弾の装填には5分もかかりあまりも非実用的であった為に日清戦争での最大海上戦「黄海海戦」では4発しか発砲しませんでした。 | ||||
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副砲 | ||||
(40口径12cm砲) | ||||
松島には副砲として40口径12cm砲が船体両側面に5門づつ、艦首方向に向けて2門の合計12門が装備されていました、この40口径12cm砲は20kgの砲弾を9000mまで飛ばせたと言います。黄海海戦時に主砲である32cmが使用できなかった為に此れら速射砲が頼りに成っていました、その海戦で連合艦隊は清国北洋艦隊を上回る速力に物を言わせ12cm~15cmの速射砲を次から次へと連発して見事に勝利します。 | ||||
(40口径7.62cm砲) | ||||
更に松島には対水雷艇用の40口径76.2cm砲が両弦側に3門づつの合計6門装備されていました。 | ||||
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黄海海戦での松島 | ||||
日清戦争の最中松島は連合艦隊の旗艦と成っていました、黄海海戦では連合艦隊の本隊を率いて北洋艦隊を向かえ打ちます、本隊は旗艦松島を先頭に「千代田」、「鹿島」、「橋立」、「比叡」、「扶桑」が続きその本隊の前方には「吉野」が率いる第一遊撃隊の4隻が航行していました。 1894年9月17日12時50分、北洋艦隊「定遠」が距離5800mから砲弾を発砲、それを合図に両艦隊は海戦を開始します、海戦当初の砲撃戦で第一遊撃隊は敵艦「揚威」を撃沈、更に同敵艦「超勇」にも砲弾を多数あびせ戦線離脱させました。 |
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15時10分、北洋艦隊の指揮が乱れているすきに連合艦隊本隊は隊列を整え第一遊撃隊と共に北洋艦隊本隊に十字砲火をあびせます、北洋艦隊側も激しく応戦、鎮遠の放った30.5cm砲弾が松島に命中、松島は大破炎上します、しかし松島は砲撃をやめる事無く続行しています。この時、松島の三等水平の三浦虎次郎は重症をおいながも副長に「定遠はまだ沈まないのですか」と尋ねたと言います、副長は「定遠は戦闘不能状態である」と答えたところ虎次郎は安堵して息を引取ったエピソードが後々語り次がれています。 | ||||
この十字砲火は北洋艦隊に打撃を与えます、北洋艦隊は徐々に戦線を離脱し17時40分、定遠、鎮遠も退却をはじめ黄海海戦は日本側の勝利で終結しました。 | ||||
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その後の松島 | ||||
日清戦争終結後、松島は新鋭戦艦「富士」と旗艦を交代し艦種を二等巡洋艦に定められます。日露戦争時には橋立、鹿島、日清戦争で接収した鎮遠と共に第3艦隊所属、第5戦隊を編制、日本海海戦で偵察などを行っています。日露戦争後の1908年7月訓練航海の為に松島は台湾に寄港、その時火薬庫が爆発し松島は沈没、現在その慰霊碑が寄港した馬公市内の公園に立てられています。 | ||||
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防護巡洋艦松島 | ||||
基準排水量 | 4278t | 兵装 | ||
全長 | 89.9m | 38口径32cm砲 | 1門 | |
最大幅 | 15.4m | 40口径12cm砲 | 12門 | |
40口径76.2mm砲 | 6門 | |||
機関 | 3段膨張式3気筒レシプロ機関2基2軸 | 43口径47mm砲 | 6門 | |
最大速力 | 16ノット | 35.6cm水上魚雷発射管 | 4基 | |
最大出力 | 5400hp | |||
1888年起工 | ||||
装甲厚 | 1890年進水 | |||
弦側 | 75mm | 1892年就役 | ||
甲板部 | 最大51mm | 1908年沈没 | ||
砲塔部 | 最大100mm | |||
バーベット | 300mm | |||
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