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装甲巡洋艦出雲   
         
         
   
         
 装甲巡洋艦出雲は1896年の六六艦隊計画(対露戦に備えて戦艦6隻、装甲巡洋艦6隻を建造する計画)において建造された艦です。イギリス、アームストロング社「エルジック造船所」で建造され、先に建造された浅間型をベースとして設計されています。出雲型と浅間型の外見は略同じですが機関の変更により煙突が2本から3本へと増やされています、しかし浅間型の同型艦では無く出雲の姉妹艦は装甲巡洋艦「磐手」(出雲型2番艦)でした。   

 
         
 装甲巡洋艦出雲の規模、装甲、機関  
         
   
 出雲型は排水量9700tと総体的に六六艦隊計画で建造された他の5隻とだいたい同じ大きさです。全長は123mでした。   
   
 装甲は弦側水線部においては他装甲巡洋艦と同様に178mm、甲板部に関しては102mmと浅間型よりいささか強化されています(浅間型は50mm~76mm)。   
   
 機関は浅間型と異なりボイラーを変更しています、フランスで開発されたベルヴィール式ボイラー24缶を搭載、最大速力20、8ノット、最大出力14500hpと浅間型より劣るものの船体総重量をおさえながら甲板部装甲の強化がなされています、また浅間型より後に建造された八雲型、吾妻型にもベルヴィール式ボイラーが搭載されています。   
   

 
         
主砲45口径20.3cm砲   
         
   
(艦首45口径20.3cm連装砲塔)  (艦尾45口径20.3cm連装砲塔)   
         
 主砲45口径20.3cmは連装砲塔に収め艦の中央線上艦首、艦尾に一基づつ配備しています(計4門)、此れは他の六六艦隊計画の装甲巡洋艦と配置、砲共に統一化されています(春日のみ異なる)、当時巡洋艦の搭載砲は各国海軍でまちまちでしたが日本海軍においては砲弾の生産効率と流用性を考慮して統一化していました。   
   
(左舷側に向けられた45口径20.3cm砲4門)   
         
 この前後2基の連装砲砲搭載により艦首、艦尾に2門づつ、弦側に最大4門の主砲が向けられます。これら主砲を収めた連装砲塔は円筒形(多少円錐)をなして左右共に最大150°まで旋回させる事が可能でかなり深く斜め前方及び後方へ砲身が向けられます。   
   

 
         
副砲   
         
   
(左舷側40口径15.2cm砲7門)   
         
 副砲は40口径15.2cm砲14門、40口径8cm砲12門、更に対水雷艇用の補助火力47mm砲8門と浅間型と各砲の数、配置は同じです。
 その40口径15、2cm砲は両弦側に7門づつの配置で甲板上に2門、船体側面に1門、艦首、艦尾の船体側面に上下2段の砲郭に2門づつ収めた計4門です。
 
   
(甲板2門、船体側面1門の15.2cm砲)  ( 左舷艦首2段の砲郭に収められた15.2cm砲2門)  
         
 40口径8cm砲は片弦側に6門の艦首、艦尾の甲板上にそれぞれ2門づつ、同じく艦首、艦尾船体側面に1門づつの配置で両弦合わせて合計12門でした。   
   
(艦尾側甲板上の左舷2門、右舷2門の8cm砲)   

 
         
出雲の艦歴   
         
 装甲巡洋艦出雲は1900年9月に竣工し同年12月に日本へと到着します、到着後に装甲巡洋艦隊である第二艦隊の旗艦となり日露戦争開戦後に通商破壊を行うロシア「ウラジオ艦隊」の追撃戦を展開します、しかし当初ウラジオ艦隊の撃退は思うようにいかず取り逃がし続けていました。1904年8月14日旅順港から逃走を図った旅順艦隊を向かれる為にウラジオ艦隊が出港します、蔚山沖にて出雲、吾妻、常磐、磐手の第二艦隊第二戦隊と遭遇、激しい砲撃戦を展開しウラジオ艦隊の装甲巡洋艦「リューリク」が撃沈、同じく装甲巡洋艦「ロシア」、「グロモボーイ」が大破しています、その後ウラジオ艦隊は出撃する事はありませんでした。
 日本海海戦で出雲率いる第二艦隊は東郷提督の命令を無視して単独でバルチック艦隊の主力艦隊へ突入しています、甚大な損害を受けていたバルチック艦隊はウラジオストックへの逃走を心見たのですが東郷提督はその逃走方向を誤ってしまいます、それに直ぐさま気づいた出雲の上村第二艦隊指揮官は同艦隊装甲巡洋艦を引き連れ敵主力艦隊へ突進し砲撃をかけました、その為バルチック艦隊は混乱し指揮が乱れたままチリジリに逃走しわずかな艦艇以外はウラジオストックへはたどり着けず撃沈もしくは日本艦隊に拿捕されています。
 第一次大戦中に出雲は第二特務艦隊に所属し地中海に派遣されています、地中海はドイツの潜水艦による通商破壊が頻繁で出雲は船団護衛などに従事していました。
 大戦後に出雲は一等海防艦に分類されます。上海事変で出雲は上海港に停泊、そこへ中華民国軍が爆撃を行います、しかし出雲は対空防備を強化していた為に中華民国軍の爆撃機を蹴散らしています。
 太平洋戦争中に出雲は一時的に一等巡洋艦へと復帰していますが1943年に練習艦となり1945年7月、呉軍港に停泊中、姉妹艦磐手と共にアメリカ軍の爆撃で沈没しています。
 

 
         
装甲巡洋艦出雲   
         
 基準排水量  9773t  兵装    
 全長  123m  45口径20.3cm連装砲塔  2基(4門)  
 最大幅  21m  40口径15,2cm砲  14門  
     40口径8cm砲  12門  
 機関  ベルヴィール式石炭専用ボイラー24基、三段膨張式四気筒レシプロ機関2基、2軸推進  47mm機砲  8門  
 最大速力  20、8ノット  45,7cm水中魚雷発射管  4基  
 最大出力  14500hp      
     1898年5月起工    
 装甲厚    1898年9月進水    
 弦側水線部  178mm  1900年9月竣工    
 甲板部  最大102mm  1945年7月爆撃により沈没    

 
         
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