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戦艦シソイヴェリキーはロシア海軍がバルト海の防備を目的に建造した海防戦艦です、イギリス海軍のロイアルサプリン級戦艦を手本に設計された事からロイアルサプリン類意点が幾つか見られるのが特徴です。シソイヴェリキーが建造される以前はロシア海軍では大型艦なども装甲艦と称していたのでこの艦は初期の戦艦、所謂「前弩級戦艦」に分類されています。さて戦艦シソイヴェリキーですが日露戦争において第二太平洋艦隊「バルチック艦隊」に所属し日本海海戦で日本海軍と激しい砲撃戦を展開した後、その翌日に沈没する事となります。 |
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シソイヴェリキーの規模、装甲、機関 |
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シソイヴェリキーの基準排水量は10400t、全長は107m、最大幅は20、7mで同時期に建造された日本海軍の富士型戦艦より一回り小ぶりな船体です。 |
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装甲厚は弦側機関部側面で203mm~406mm、弾薬庫側面で152mm~305mmあり、その内側には更に斜めに76mmの傾斜装甲が張られた2重構造で十分な装甲と言えるでしょう。
推進機関は石炭専用焼ボイラー8基に三段膨張式3気筒レシプロ機関2基で2基のスクリューを回転させ最大主力8640hp、最大速力15、6ノットを発揮させます、しかし日本海軍の戦艦の平均最大速力18ノットと比較して多少それを下回っています。 |
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主砲40口径30.5cm砲 |
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(艦首40口径30.5cm連装砲塔) |
(艦尾40口径30.5cm連装砲塔) |
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シソイヴェリキーの主砲は40口径30、5cm砲を連装砲塔に収め艦首と艦尾の甲板上に配備しています、この40口径30.5cm砲は戦艦ボロジノ級などにも配備されたもので331kgの砲弾を最大14640mまで飛ばせたと言います、また30.5cm砲を収めた連装砲塔はフランス式の隋円筒砲塔で後のロシア戦艦の基準型砲塔となります。 |
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(左舷側に向けられた40口径30.5cm砲4門) |
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副砲45口径15,2cm砲 |
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(左舷船体側面の45口径15.2cm砲3門) |
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副砲は1892年式の45口径15,2cm砲両弦側の側面に3門づつの計6門配備しています、この45口径15,2cm砲もまたボロジノ級などの他の戦艦と同じもので最大11520m、1分間に7発の速射が可能でした。 |
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対水雷艇装備 |
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(甲板構造物上に配備された43口径4.7cm砲) |
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シソイヴェリキーは対水雷艇用の防備として43口径4.7cm砲を船体側面と甲板構造物上に12門、ミリタリーマスト監視楼上に23口径3.7cm砲10門、37mmガトリング砲2門が配備されています。 |
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( ミリタリーマスト監視楼上に配備された23口径3.7cm砲) |
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また対水雷艇砲とは別に上陸支援用に19口径6.5cm野砲も配備されていました。 |
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日本海海戦での戦艦シソイヴェリキー |
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戦艦シソイヴェリキーは1892年に起工され4年後の1896年に就役します、就役後にバルト海に配備され日露海戦では第2太平洋艦隊「バルチック艦隊」第2戦艦隊に所属し日本海へおもむきます、1905年5月27日の日本海海戦では第2戦艦隊旗艦である戦艦オスリャービャが即座に日本艦隊により撃沈され艦隊は混乱します、そこへ更に日本艦隊は進路回頭、ターンを繰り返しながらバルチック艦隊の進路を塞ぎつつ激しい砲撃をかけてきました、バルチック艦隊は戦艦ボロジノ、アレクサンドル3世、オスリャービャなどの主力艦を次々失いあえなくウラジオストック港へ敗走、シソイヴェリキーも負傷しながら逃走します。 |
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逃走したシソイヴェリキーですが夜間に日本海軍の水雷戦隊により魚雷攻撃を受けます、その時の損傷が致命傷となり翌日「対馬韓崎沖」で海中へと没します。 |
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戦艦シソイヴェリキー |
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基準排水量 |
10400t |
兵装 |
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全長 |
107.2m |
40口径30.5cm連装砲塔 |
2基(計4門) |
最大幅 |
20.7m |
45口径15.2cm砲 |
6門 |
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43口径4.7cm砲 |
12門 |
機関 |
石炭専用焼ボイラー8基、三段膨張式3気筒レシプロ機関2基2軸推進 |
23口径3.7cm砲 |
10門 |
最大速力 |
15.6ノット |
3.7cm5連装ガトリング砲 |
2門 |
最大出力 |
8640hp |
19口径6.5cm野砲 |
2門 |
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38.1cm水上魚雷発射管 |
6基 |
装甲厚 |
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機雷 |
50発 |
弦側機関部側面 |
203mm~406mm |
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弦側弾薬庫側面 |
152mm~305mm |
1892年5月起工 |
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船体内傾斜装甲 |
76mm |
1894年6月進水 |
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甲板部 |
64mm |
1896年8月就役 |
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砲塔前面 |
254mm |
1905年5月28日沈没 |
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