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装甲巡洋艦春日   
         
         
   
         
 装甲巡洋艦春日型の「春日」、「日進」の2隻(同型艦)は元々アルゼンチン海軍がチリとの紛争勃発を想定してイタリアに発注した巡洋艦「リヴァダヴィア」と「モレノ」でアルゼンチン、チリが和睦し両艦は不要となり日露戦争直前に日本がアルゼンチンに代わり購入した艦です。当艦はイタリアの主力戦艦「エマニュエレ・フェリベルト」を元に装甲、及び兵装を削減し速力を引き上げ巡洋艦としたもので全長は「エマニュエレ・フェリベルト」と同じです。  

 
         
装甲巡洋艦春日の規模、装甲、機関   
         
   
 春日型は全長118m、基準排水量が7700tで前級装甲巡洋艦「出雲型」9773t、123mと比較していささか小ぶりな艦でした。  
   
 また装甲も春日型が弦側150mm、出雲型が178mmで多少非力な防御に思われますが当時の巡洋艦の基準で考えると出雲型が重圧過ぎる装甲で春日においては装甲巡洋艦として標準的な装甲厚でした、また7700tの船体に巡洋艦なりの速力を保ちつつこれだけの装甲を施した事を考慮すればむしろ優秀な船体と言えるでしょう。   
   
 春日の機関は三段膨張三気筒レシプロ式2基、スクリュー2基で最大出力13500hp、最大速力は装甲巡洋艦として標準的な20ノットまで発揮します。船体的に当時のイタリアの造船技術としてはなかなかの完成度でした。  
   

 
         
春日の対艦砲   
         
   
 (艦首に配置された40口径25.4cm砲1門)  (艦尾に配置された45口径20cm砲)  
         
 春日の主砲は40口径25.4cm単装砲塔が1基、船体中央線の艦首側に配置されています、また船体中央線の艦尾側には装甲巡洋艦の標準的主砲45口径20、3cm連装砲塔2基(2門)配置されています(日進は20.3cm砲4門)、この40口径25.4cm砲ですが最大射程18000m(20.3cm砲も同じ)で毎分1.5発の射撃が可能でした、また旅順において主力艦である戦艦初瀬、八島が機雷により沈没して以降、この25.4cmもの巨砲を搭載している事から春日は日露の海戦でしばし戦艦の代用となっています。  
   
(側面に向けられた25.4cm砲1門と20.3cm砲2門)   
         
 これら対艦砲の配置により前方に25.4cm砲1門、後方には20.3cm砲2門、弦側に向けては25.4cm1門と20.3cmが2門向けられます。   

 
         
春日の副砲   
         
   
(片弦側に配置された40口径15.2cm砲7門、甲板中央3門は76.2mm砲))   
         
 対艦様の副砲として春日には両弦側の船体側面に5門づつ、甲板上に2門づつの計14門の40口径15.2cm砲が配備されています、この15.2cm砲は戦艦富士型、敷島型と同じ副砲で艦の前後に4門づつ、弦側に7門向けられます。   
   
(艦首方向へ向けられた左舷側2門の15.2cm砲)   
         
 また春日には対小型艦艇用の40口径7.62mm砲が両弦側の甲板上に3門づつ、艦首船体側面に1門づつの計8門配備されています。この砲もまた敷島と同じものです。   
   
(左舷甲板上に配置された76.2mm砲)  (艦首左舷船体側面に配置された76.2mm砲1門)   

 
         
日露海戦での春日   
         
  装甲巡洋艦春日、日進は日露戦争開戦直前の1903年12月30日に日本海軍により購入されます、そして翌年2月16日に両艦共に横須賀港へ到着し引き渡しがなされました、実際横須賀に到着した時点で日露戦争は既に勃発、2隻がイタリアから日本へ向かう途中でロシア軍艦に尾行されていました、しかし同盟国イギリスの軍艦が両艦2隻とロシア艦の間に割り込み護衛に付いた為ロシア艦は退去し難を乗り越えています。
 両艦が横須賀に着くと即座に旅順へと向かいます、旅順港では閉鎖作戦、攻撃作戦が既に実行されていました。5月15日春日は旅順沖で巡洋艦吉野と激突事故を起こします、この時吉野の船体に春日の艦首衝角(ラム)が食い込み吉野は沈没しました、また同日戦艦初瀬、八島がロシアに機雷に触れ沈没、日本海軍はこの日1日で主要な艦を3隻も失う事になります。
 その後春日は黄海での追撃戦、日本海海戦に参加、日本海海戦では主力艦隊である第一艦隊、第一戦隊に所属し艦隊先頭の旗艦三笠、敷島、富士、朝日に続き5番手に位置していました(日進はその次)。この海戦で日本海軍は大勝利、同盟国イギリスは元より春日の売却にたずさわったアルゼンチン政府も大いに喜んでくれたそうです。
 日露戦争後春日は第一次大戦においてもイギリス海軍支援の為にアモイ、フィリピン、インド洋、南シナ海で作戦行動に加わっています、大戦後春日は一等海防艦に分類され1925年には練習艦となり、1945年7月18日の米軍による横須賀空襲の為沈没しています。
 

 
         
装甲巡洋艦春日   
         
 基準排水量  7700t  兵装    
 全長  111.8m  40口径25.4cm砲  1門  
 最大幅  18.71m  45口径20.3cm連装砲塔  1基2門  
     40口径15.2cm砲  14門  
 機関  三段膨張三気筒レシプロ式2基、スクリュー2基  40口径76.2mm砲  8門  
 最大速力  20ノット  40口径47mm機砲6基    
 最大出力  13500hp  45.7cm水中魚雷発射管  4基  
         
 装甲厚    1902年3月起工    
 弦側水線部  70~150mm  1902年10月進水    
 甲板部  最大38mm  1904年1月就役    
 バーベット  最大150mm  1945年7月横須賀にて沈没    

 
         
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