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1901年8月ロシア帝国は日露の海戦に向けて戦艦ベレスヴェート級の2番艦として戦艦オスリャービャを就役させます、このベレスヴェート級戦艦はロシア海軍において艦隊装甲艦と称し当時の装甲巡洋艦の拡大型で後の巡洋戦艦の祖と言える存在でした。特徴として攻撃力が他の主力戦艦より劣る代わりに速力、巡航性能に優れています、ロシア帝国はベレスヴェート級戦艦3隻(戦艦ベレスヴェート、オスリャービャ、ボベーダ)を建造し日本との海戦にのぞみます。 |
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戦艦オスリャービャの規模、装甲、機関 |
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オスリャービャの規模は基準排水量12600t、全長133.4m、最大幅21、8mで日本海軍の主力戦艦敷島型よりいささか小ぶりな船体です。また当時のロシア戦艦の特徴である喫水線から上部が高く造られている事からドッシリとした見ばえの船体でした。 |
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装甲厚は弦側で229mm~102mm、甲板部最大127mm、砲塔部前面229mmと敷島型に劣らないものです。機関は30缶のボイラーに3基の三倍拡張レシプロ機関で3基ものスクリューを回転させ最大出力14500hp、最大速力18ノットを発揮させます、出力、速力は敷島型とほぼ同じです、しかし前に速力、巡航性に優れていると表記しましたが此れは他のロシア戦艦と比較しての事で全体的にイギリスで建造された日本海軍の戦艦よりロシア海軍の戦艦は機関性能などにおいては劣ります。 |
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主砲40口径25.4cm砲 |
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(艦首40口径25.4cm連装砲塔) |
(艦首40口径25.4cm連装砲塔) |
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オスリャービャの主砲は当時の主力戦艦の標準とされる30cm砲よりいささか口径が小さい40口径25.4cm砲で此れを連装砲塔に収め艦首、艦尾に1基づつ配置しています。攻撃力をおさえた代わりに石炭貯蔵庫を拡張させ従来よりも航続距離をのばしています、故にロシア海軍ではオスリャービャを含むベレスヴェート級艦を戦艦とは呼ばず艦隊装甲艦に位置付けていました(日本海軍ではベレスヴェート級を戦艦と認識していた)。 |
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(左舷方向へ向けられた40口径25.4cm砲4門) |
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副砲45口径15.2cm砲 |
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(左舷船体側面に配置された45口径15.2cm砲5門) |
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副砲は当時ロシア海軍の標準である45口径15.2cm砲を両弦側船体側面に5門づつと船体艦首部に1門の計11門配備、船体側面の砲は砲郭に収められ内艦首及び艦尾方向へ向けられた計8門の砲は上下2段となっています。この配置により艦首方向へ5門、弦側に5門、艦尾方向へ4門の副砲が向けられる事になります。 |
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(船体艦首に配置された副砲1門) |
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50口径7.5cm砲 |
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(左舷船体側面の50口径7.5cm砲10門) |
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対水雷艇用に50口径7.5cm砲を両弦側船体側面に10門づつの計20門と43口径47mm砲を20門、37mm砲を8門、甲板上とミリタリーマスト上に配置、更に63.5mm上陸支援砲2門を搭載しています。 |
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日本海海戦でのオスリャービャ |
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1901年戦艦オスリャービャはベレスヴェート級の2番艦として就役します、その戦艦オスリャービャは日露戦争直前に旅順港へ移動中地中海にて故障し旅順入港は見送る事となります、その後ロシア太平洋第二艦隊、通称バルチック艦隊と合流しウラジオストックへと向かいました。 |
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1905年5月27日、艦隊は対馬沖に到達します、姉妹艦のベレスヴェート、ボベーダは日本軍による旅順砲撃により既に大破着底した状態となっていました。対馬海峡を抜けた時点で戦艦オスリャービャは第二戦艦隊旗艦として戦艦シソイヴェリキィー、ナヴァリン、装甲巡洋艦アドミラールナヒーモフの3隻をひきつれ第一戦艦隊(主力艦隊)の左舷やや後方を進行していました。 |
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27日正午過ぎバルチック艦隊は連合艦隊と遭遇、先制攻撃をかけます、その直後に直進南下していた連合艦隊は左方向へ進路変更しバルチック艦隊の進路を塞ぎつつ反撃を開始、第二戦艦隊の先頭に位置していたオスリャービャは集中砲火をあびて艦首部は戦闘不能となり戦線離脱を余儀なくされました。 |
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戦闘から脱落したオスリャービャはそのわづか10分後に船体を左舷方向へ傾かせながら水没し海底へと沈みましす、オスリャービャはこの海戦で一番最初に撃沈された戦艦です、実際のところオスリャービャ含むバルチック艦隊の艦船は石炭などを満載し重量オーバーの状態であり動きが鈍く次々に日本側の標的とされたのです。 |
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戦艦オスリャービャ |
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基準排水量 |
12674t |
兵装 |
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全長 |
133.4m |
40口径25.4cm連装砲塔 |
2基 |
最大幅 |
218m |
45口径15.2cm砲 |
11門 |
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50口径7.5cm砲 |
20門 |
機関 |
ベルヴィル式ボイラー30缶 3倍拡張式蒸気機関3基3軸推進 |
43口径47mm砲 |
20門 |
最大出力 |
14500hp |
37mm砲 |
8門 |
最大速度 |
18ノット |
63.5mm上陸支援砲 |
2門 |
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381mm水上魚雷発射管 |
3基 |
装甲厚 |
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381mm水中魚雷発射管 |
2基 |
弦側 |
102mm~229mm(水線部) |
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甲板部 |
51mm~127mm |
1895年11月起工 |
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主砲塔前面 |
229mm |
1898年10月進水 |
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1901年8月就役 |
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1905年5月27日沈没 |
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