(安中藩郡奉行役宅) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中山道は高崎宿から豊岡に向かい碓氷川沿いに板鼻宿へ達していました、板鼻宿は江戸から14番目の宿場で1843年(天保14年)の宿内の人口は1422人、本陣、脇本陣1、旅館54軒でした、碓氷川は増水しやすく川止めが多い事から旅館の軒数は板鼻宿から先の中山道筋の宿場で塩尻宿に次いで2番目です。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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板鼻堰 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
板鼻堰は江戸期の初頭位に開削された用水路で板鼻宿の裏手を流れています、碓氷川と九十九川の合流点を水源として板鼻宿より川下の宿、村落へ灌漑、生活用水として使用されていました。 流れは比較的急流で静水です。 |
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(板鼻堰の流れ) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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安中藩郡奉行役宅 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中山道は碓氷川を対岸へ渡り中宿を経てそこからまた碓氷川を越えて安中宿へと向かいます、安中宿は安中城の城下で城は安中市立安中小学校付近を本郭として九十九川、碓氷川を南北の壕としています、現在安中藩郡奉行役の邸宅と安中藩武家長屋を見る事ができます。 安中藩郡奉行宅は幕末から明治期初頭にかけて安中藩郡奉行狩野懐忠が居住していました、造は長屋門の母屋が上州では珍しい曲り屋と成っています。 |
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安中藩武家長屋 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
奉行役宅の道路を挟んだ西側に安中藩武家長屋が在ります、安中藩の下級藩士の住居です、末端の武士は借家住まいで一般の町民と生活レベルは同じ位でした、長屋は四軒長屋でこの東には五軒長屋があったそうです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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松井田宿 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(松井田宿旧家屋) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
安中宿を出ると中山道は国道18号線と交差、並行して西に向かい一端合流して松井田のY字路で反れて県道33号線沿いに松井田宿へ入ります、松井田宿は1843年(天保14年)には人口1009人、旅館14軒、本陣2軒、脇本陣2軒でした、現在宿内を抜ける県道33号線沿いには江戸末期から昭和初期に建てられたと思われる旧商家、土蔵、旅館などが点在しています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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街道筋から見る妙義山 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中山道は松井田宿を出ると県道33号線沿いに直進して県道217号線を通り国道18号線とまた合流します、その付近からは妙義山が大変よく遠望できます。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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補蛇寺、松井田城 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国道18号線との合流点の少し手前の県道217号線沿いに補蛇寺があり補蛇寺の裏山は中世の城郭松井田城です、補蛇寺は丁度松井田城の大手筋に位地しています、松井田城は山城で築城は16世紀中頃在地領主安中氏により築かれました、諏訪氏、武田氏、北条氏、滝川一益の攻防の末に1589年(天正17年)豊臣秀吉の小田原征伐前哨戦として前田利家、上杉景勝、真田昌行の攻撃を受けて北条方の松井田城主大道寺政繋は降伏開城します、その後廃城となりました。 江戸期以前はこの補蛇寺参門前辺りが宿であったのでしょう。 |
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五料村高札場址 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国道18号線を進み上信越自動車道の高架潜る手前で中山道は18号線を離れます、高架から300m程先に五料村の高札場址の案内版が立っています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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五料茶屋本陣 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高札場址の脇道を曲り信越本線の踏切を越えた所に五料茶屋本陣が在ります、茶屋本陣とは通常本陣の様な参勤交代の大名が宿泊する宿では無く宿場間に在る大名、公家が休憩する施設です、敷地内には「お西」、「お東」の二戸母屋が建てれています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(お西とお東) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
五料茶屋本陣は名主中島家の邸宅で「お西」が本家で「お東」が分家であった様です、当初「お西」の中島家が名主を務めていましたが後に「お西」、「お東」の両中島家が1年交代で名主役を務めています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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中山道 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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