関東、温泉と旅行記
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宇都宮、日光方面 |
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今市宿を出ると日光街道の並木道は国道119号線から一旦反れて国道と平行に合流、分離しながら日光鉢石宿へと向かいます、途中瀧川村と間の宿である野口村を経由します、その行定は大凡7km半程でその間の日光街道筋は遊歩道と成っている為に掘割、杉並木道などが大変良好に保存された状態です。 |
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高尾神社 |
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(今市宿から先の杉並木道) |
(高尾神社) |
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今市宿を出ると日光街道筋は掘割状に延びています、今市宿の西木戸(今市小前交差点)から300m程進むと767年(天平3年)に建立された瀧川村の村社である高尾神社が祀られています。江戸期以前にこの辺りの瀧川村は東の滝尾村と一つでしたが洪水により2分されたと云います。
さて滝尾地区の案内板に徳川将軍の日光参拝について説明が書かれていました、1843年(天保14年)の徳川家慶の日光社参拝には水野忠邦が幕府の権威回復の為に実施した大事業でした、参拝に従事した人数は14万人(関ヶ原の合戦の東軍の兵力の2倍)でそれ以外に関東一円の村落に馬調達、助郷役が命じられたと云います、将軍の日光参拝には相当の費用が費やされたそうです。 |
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杉並木公園の水車 |
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(そばの粉ひき小屋) |
(二連の水車) |
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ここで街道筋を少し離れて杉並木道沿いの北側の杉並木公園に寄ってみます、杉並木公園には今市周辺古来の水車や日本各地の水車、世界の水車などが展示されています。 |
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(直径10mの大水車) |
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動力を高める為の2連の水車、直径10mもある巨大水車、粉ひき様のカラクリ水車など結構見所があります。 |
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(カラクリ水車) |
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杉並木公園の移築家屋 |
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(報徳仕法家屋) |
(江連家住宅) |
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杉並木公園の西側には2棟の旧家屋が移築、復元されています、1軒は二宮尊徳の日光社領復興事業に伴い1865年(慶安元年)今市市轟に建てられた「報徳仕法家屋」です、もう1軒は復元家屋で1830年(天保元年)日光市小倉に建られた名主江連家住宅です。 |
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今市用水円筒分水井 |
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江連家住宅の裏手に「今市用水円筒分水井」が設けられています、これは下流の灌漑用水や今市市、宇都宮市に生活用水を供給する分水施設です、1954年(昭和29年)に完成された分水井で発電所から供給された水をこの円筒内側の23箇所の各ゲート開閉する事により水量を調整し現状で水を必要とする地域に必要分の水を供給できる当時としては画期的な設備でした。 |
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砲弾射込杉 |
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(杉並木公園から先の日光街道) |
(砲弾射込杉) |
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杉並木公園から日光街道の杉並木道を進みます、1868年( 慶長4年)戊辰戦争の最中この辺りは官軍と幕府軍の激戦地でした、官軍の放った砲弾が着弾、炸裂したとされる杉の木が今でも立っています、時にこの杉の木は砲弾が着弾した際に反対方向へ大きく曲がり元へ戻ったとされるとんでもない杉の木です、大砲の口径にもよりますが通常砲弾が炸裂した際に立木などは粉砕もしくは吹き飛ばされるはずです。 |
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野口村 |
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更に日光街道筋を進むと街道筋は石畳風に舗装されています、この辺りから野口村に入ります、野口村は今市宿と鉢石宿の間の宿で番所、立場茶屋などが設けられていました、当初、北を流れる大谷川の対岸で旧鎌倉街道筋に点在していた村落でしたが幾度もの洪水によりこの地に移されました。 |
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木材運搬用の水路 |
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ここで不可解な物を見つけました、野口村の直ぐ北側に幅にして5m程、深さ4m程の堀が続いています、日光方面から今市に向かって日光街道筋に接近したり離れたりしながらずっと続いているのです、見るからに人口で掘られたものです、そこで地元の方に訪ねたところ(この堀は昔の水路で大谷川から水を引いて木材を運ぶのに使われていた)と説明してもらいました、江戸期の頃から昭和初期まで使われていたと云います、その木材は宇都宮まで運んでいたそうです、現在は水も無く空堀と成っています。 |
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生岡神社参道口、並木太郎 |
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(生岡神社参道口) |
(並木太郎) |
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野口村を出ると日光街道筋は国道119号線と合流します、昔この辺りは七里村と称して少し進んだ所に七里村の総鎮守「生岡神社」の参道が街道筋に通じています、更にそこから400m程先に並木道で最も大きいとされる「並木太郎」が聳え立っています、この並木太郎は周囲5、35m、高さ37mの巨大な杉の木です。 |
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明治天皇七里小休所 |
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1876年(明治9年)明治天皇が日光へ巡られた際に此処七里村で小休されました、日光は石段が多い為に明治天皇はこの小休所で馬車を降りられて馬に乗り換えられています。 |
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小休所からJR日光駅までの日光街道の並木道 |
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(国道119号線沿いの杉並木) |
(国道より南方向へ反れた日光街道筋) |
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明治天皇小休所から日光街道筋は国道119号線と同じ道のりで宝殿の交差点を過ぎてた150m先で一旦南方向へ反れます、そこから200m程でまた国道と合流、合流した正面のJR日光線の高架をくぐるとまた更に北方向へ旧街道は反れます。 |
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(国道から北方向へ反れた日光街道筋) |
(国道との合流点の石碑群) |
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北へ反れた日光街道筋は100m程で国道と合流、合流地点には道標と思われる石碑が数基立ち並んでいます、そこから国道の杉並木道を200m程進んだ右方向がJR日光駅です。 |
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(JR日光駅までの国道119号線杉並木道) |
(JR日光駅) |
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日光街道 |
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