関東、温泉と旅行記 | 宇都宮、日光方面 | |||||||||||||||
江戸から20番目の宿場である今市宿に入ります、今市宿は日光街道、 日光例幣史街道(楡木間宿で壬生道と合流)、会津西街道が合流する交通の要所です、今市宿の町並は七町(700m)程で1843年(天保14年)の頃の人口は1122人、家屋236軒、旅館21軒、本陣、脇本陣共に1軒でした、元々今市宿は今村と称されていましたが宿駅となり定期市が開かれ今市宿と呼ばれる様になったと云います。 | ||||||||||||||||
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今市周辺、旅館、宿、宿泊施設 | |||||||||||||||
日光 別邸 向日葵 「じゃらんnet提供」 ハイクラス旅館、お部屋、お風呂共に申し分なしとクチコミにあり、コンビニも近く大変便利。 クチコミ評価 東武、JR日光駅より徒歩15分。日光宇都宮有料道路日光インターより、車で3分位。 ホテル村上 「じゃらんnet提供」 JR今市駅、東武下今市駅共に5分、東照宮、華厳の滝へ行かれる方が良く利用されます、コンビニも直ぐ近くです。 駐車場無料。 無線LAN接続無料。 クチコミ評価 JR日光線今市駅下車、徒歩5分 東武日光線下今市駅下車、徒歩5分 日光街道(R119号線)沿い 。 |
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日光街道筋と日光例幣史街道の追分、追分地蔵尊 | ||||||||||||||||
(今市宿へ向かう日光街道の杉並木道) | (追分地蔵尊) | |||||||||||||||
杉並木道を今市へ進むと杉並木は小倉町の交差点手前で途切れます、此処は日光街道筋と日光例幣使街道(国道121号線)の追分で今市宿の入口でした。両街道筋の分岐点には追分地蔵尊が安置されています、この地蔵尊は石の地蔵で大谷川の洪水により流されて埋もれていたものを此処に運んで安置したと云います、江戸期の頃には地蔵尊の裏手で高麗人参の栽培が行われ今市宿の名物に成りました。 | ||||||||||||||||
(追分、日光街道筋) | (追分、日光例幣使街道) | |||||||||||||||
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今市宿の町並 | ||||||||||||||||
今市宿は小倉町交差点から今市宿の総社「瀧尾神社」の鳥居辺りまで宿の町並でした、日光街道筋(今市宿の中央道路)の中程には水路が設けられ今市宿の東西の端から端までを流れていました。 | ||||||||||||||||
(今市宿の宿内を流れる水路) | ||||||||||||||||
現在、今市宿は幾度の火災によりその町並は当時と大分変わってしまいましたが、造り酒屋や格子窓の商家などが箇所ケ所にあり宿場時代の面影を見る事ができます。 | ||||||||||||||||
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会津西街道追分 | ||||||||||||||||
(名主屋敷) | (旧脇本陣) | |||||||||||||||
今市宿内の日光街道筋(国道119号線)を西に進みます、丁度現在の春日町交差点より100m程手前辺りには名主の屋敷が在りました、その向かい側が脇本陣でしたが何時の頃か大火により消失してしまい今市宿の西端の上町へ移されています。 名主の屋敷より少し西側は会津西街道との分岐点、追分と成っていました。 |
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(日光街道筋から分かれる会津西街道) | ||||||||||||||||
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如来寺 | ||||||||||||||||
(木造地蔵菩薩像の安置されたお堂) | ||||||||||||||||
会津西街道を進みます、最初の交差路を右へ曲った先に如来寺の山門が在ります、如来寺は文明年間(1469年~1487年)に建立され1632年(寛永9年)に将軍徳川家光の日光参拝時の御殿が寺域に建てられたと云います、1742年(寛保2年)と1762年(宝暦12年)の大火により山門と庫裏を残して全て消失してしまいした、現在の本堂は1765年(明和2年)に再建されたものです、寺内には木造地蔵菩薩像を安置したお堂が在ります、この木造地蔵菩薩像は北条政子が安達盛長に日光山へ奉納する様に命じて運ばせる途中にこの地で車が動かなく成り、此処へ安置したそうです。 | ||||||||||||||||
(本堂) | ||||||||||||||||
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報徳二宮神社 | ||||||||||||||||
如来寺の隣が報徳二宮神社です、日光の社領98村の開発事業に勤めた二宮尊徳は1853年(嘉永6年)志半ばにして病により死去します、当初尊徳の墓石が建てられ、その後1897年(明治30年)に社殿(報徳二宮神社)が建立されました。 | ||||||||||||||||
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今市宿本陣跡 | ||||||||||||||||
国道119号線(日光街道筋)に戻り春日町交差点を過ぎて100m程先の右側に「今市宿市緑ひろば」が在ります、この辺りが中町でその「今市宿市緑ひろば」が今市宿の本陣跡です、ひろばの脇には明治天皇御小休の碑が立てられています、この今市宿本陣は幕末「天狗党」の宿所となっていました。 | ||||||||||||||||
(今市宿市緑ひろば) | (今市宿市緑ひろばに立つ明治天皇御小休の碑) | |||||||||||||||
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今市宿脇本陣 | ||||||||||||||||
本陣から少し進むと同じ並びに上町の脇本陣が建っていました、そのまた同じ並びで西側には如来寺の末寺「浄泉寺」の参道が延びています。 | ||||||||||||||||
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今市御蔵 | ||||||||||||||||
(米蔵) | ||||||||||||||||
浄泉寺参道の日光街道筋を挟んだ向かい側には今市宿の米蔵群である 今市御蔵がおかれていました、今市宿周辺は寒冷地の為に水田が少なく収穫高も低い土地柄でした、その為幕府は今市御蔵を設けて穀物の管理を行い此処を通して今市宿内の米問屋へ流通していました。 | ||||||||||||||||
(番所) | (蔵番などの住居) | |||||||||||||||
今市御蔵は667坪の敷地に8棟の蔵が設けられ、街道に面した小口付近には番所、蔵番などの住居が建っていました。 | ||||||||||||||||
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今市宿総社瀧尾神社 | ||||||||||||||||
今市御蔵の西側で今市宿の西口付近に今市宿の鎮守「瀧尾神社」が祀られています、782年(天応2年)勝道上人が日光男体山頂に二流大明神を祭ると同時に此処にも此れを祀ったのがはじまりです、1460年(寛政元年)社殿の改築に伴い今市宿の総社とされました。 宿場が開かれた頃から参道と通りにかけて六斎市がはじまり、大いに賑わったと云います。 |
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今市宿の西口 | ||||||||||||||||
瀧尾神社の大鳥居の北隣(現在の今市小前交差点)が今市宿の西口で此処には木戸が設けられ木戸より先はまた杉並木が続いていました。 | ||||||||||||||||
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日光街道 | ||||||||||||||||
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