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六本木の一里塚を過ぎて日光街道筋は大沢宿へと向かいます、大沢宿は徳次郎宿と今市宿の丁度中間に位地する宿場で双方の行定は共に2里の距離です、1843年(天保14年)の大沢宿の人口は278人、家屋43軒、本陣、脇本陣共に1軒づつ、旅館41軒と成っています、小規模は宿場ながら旅館、本陣、脇本陣を合わせると宿内の家は全て旅館業(兼業も含む)を営んでいた事になり大変賑わった宿場でありました。 |
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石那田堰 |
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(石那田堰の完成の祈念碑) |
(石那田堰付近の田川) |
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日光街道筋(国道119号線)が田川を渡る辺り(石那田町)でその田川流路に二ノ宮尊徳の指導、監督で堰が設けられています、石那田堰と呼ばれ堰から水路を経由して徳次郎六郷に飲み水を供給するものでした、故にその水路を六郷用水と言います、現在、石那田堰の近くに完成記念碑があります。 |
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石那田八坂神社 |
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(彫刻屋台) |
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田川を渡り100程進むと左に石那田八坂神社の社が見えてきます、此処、石那田八坂神社の天王祭(7月17日~7月24日)では周辺の6地区(仲内、桑原、六本木、原坪、岡坪、仲根、坊村)から彫刻屋台が1台づつ繰り出されるといいます。 |
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うらない仏 |
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(石那田八坂神社から先の並木道) |
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石那田八坂神社から先はまた並木道が続きます、石那田八坂神社から3km程進むと旧小池村に入ります、小池村は徳次郎宿と大沢宿の間の宿で立場茶屋が建っていました、小池村には「うらない仏」が祭られています、この「うらない仏」は前に置かれた3個の石を持ち上げて、軽いと思えば願いが叶うと言う伝説があります。「うらない仏」の脇には庚申塚が数基立っています。 |
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(うらない仏) |
(うらない仏脇の庚申塚) |
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上小池の一里塚 |
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(上小池の一里塚) |
(新渡神社) |
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うらない仏から400m程先の右側に新渡神社の鳥居が建っています、その参道入口の斜め向かい側が江戸から31番目の一里塚の上小池の一里塚です、右側の塚は消滅した状態で左側の塚のみ現存しています、その左の塚も半壊状態でちょと見つけにくくなっています。 |
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杉並木寄進碑 |
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(松平正綱により植えられた並木) |
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上小池の一里塚から先で国道119号線はY字路となり二手に分かれます、右側の並木道が旧日光街道です、Y字路から少し進んだ所に杉並木寄進碑が有ります、当初、日光の杉並木は1625年(寛永2年)~1648年(慶安元年)にかけて松平正綱により日光街道の日光~大沢間16、52km、日光例幣使街道の今市~小倉間13、17km 、会津西街道の今市~大桑間5,72kmに植えられたものです、何れも旧日光神社の領内を通る道筋でそれ以外の並木道は後々延長された並木道です、この杉並木寄進の碑は松平正綱により立てられた碑で杉並木道の完成を意味しています。 |
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大沢宿 |
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二手に分かれた国道119号線は大沢交差点で合流しましす、その大沢交差点から大沢宿でした、大沢宿は建久年間(1190年~1198年)源頼朝の命で開拓されたのがはじまりです、当初「恩沢村」と呼ばれていましたが、なまって「大沢村」となったそうです、江戸から数えて19番目の宿場でした。 |
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水無の一里塚 |
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(車両通行止めとなった国道119号線、日光街道筋) |
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大沢宿を進むとまた国道が二手に分かれています、右の国道は最近できた新道で左の国道は杉並木道ですが車両通行止めとなっています、左の杉並木が旧日光街道筋です、大凡道路拡張の為に新道を通して後々左の杉並木道を遊歩道にするのでしょう、その杉並木道の出口の少し手前(水無交差点の200m手前)が江戸から数えて32番目の一里塚の水無の一里塚です。 |
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大沢御殿跡 |
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水無の一里塚の東方向には徳川幕府三代将軍の徳川家光が日光参拝時に休息とる為に建てられた大沢御殿の跡があります、この大沢御殿は家光の後に幾度か建て直され最終的に大沢宿の竜蔵寺の使用管理する様になったと云います。 |
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大沢御殿の規模は100m四方程で二重の土塁を設けてその土塁上には杉の木が植えられていました、大手口は枡形をなして日光街道筋の方向へ向けられていました。 |
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(大手枡形) |
(西の小口) |
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水無交差点から先の杉並木道 |
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水無交差点で一旦並木道は途切れ水無の集落を過ぎる辺りからまた並木道となります、そこから1km程並木道を進むと国道と並木道が分かれ下森友交差点の少し手前で合流します、下森友交差点付近から400m程先の森友交差点間(旧森友村集落)で杉並木は途切れています、森友交差点から先で日光街道筋は国道からまた分かれ分離した状態で国道と平行に今市まで通じています。 |
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(森友交差点から先の国道から分かれた日光街道杉並木道) |
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七本桜の一里塚 |
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(左側の一里塚) |
(右側の一里塚) |
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森友交差点から1km程進んだ所が江戸から33番目の七本桜の一里塚です、右側の一里塚の上の杉の根にポッカリ空洞ができていて人が4人程入れる事から並木のホテルとあだ名されています。 |
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今市までの日光街道筋 |
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(男体山と女体山) |
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杉並木道は今市の市街地まで続きます、七本桜一里塚から大凡2km程で今市の市街地です、街道から少し反れると男体山、女体山が雄大に遠望できます。 |
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日光街道 |
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