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薮塚温泉   
       
       
 
(薮塚温泉、西山公園) 
       
 群馬県太田市の薮塚温泉郷は新田義貞の隠し湯で知られています、1333年(元弘3年)に新田義貞は鎌倉攻めに際して兵を此処「薮塚温泉」で休養させたと云われています、一説に開湯は奈良時代の頃、行基上人によるものとされていますがはっきりした事はわかっていません、ホテル、旅館が数軒のこじんまりした温泉街ですが湯量豊富で無色透明のサラサラした湯で人気があります。 

       
 東武薮塚駅
       
    (薮塚駅近くから見た赤城山) 
       
 東武薮塚駅は東武特急の停車駅で浅草から1時間45分、北千住から1時間30分で直通です、薮塚温泉街は薮塚駅から徒歩で10分~15分程です。
 薮塚駅を出ると左方向に雄大な赤城山が見えます、謂わば薮塚温泉郷は赤城山の麓に位地する温泉街です。
 

 
         
西山古墳   
         
   
 薮塚温泉入口の西山公園内には6世紀の前方後円墳「西山古墳」が在ります、全長36mの比較的小ぶりな古墳で前方部の幅が大凡20m、後円部の幅18mの後円部に対して前方部が聊か広がった感じの古墳です。   
   
 玄室が開いているのでちょと覗いてみます、奥行きは4、5mの幅が2、1mあります、この玄室は高麗国から伝わった「ものさし」(一尺35cm)で測ったと案内板に書かれていました。   
   

 
         
薮塚温泉街   
         
   
薮塚温泉の老舗、ふせじま)  薮塚歴史民族資料館)   
         
 西山公園から薮塚温泉街は直ぐです、旅館の数は少ないですが立派な温泉ホテルが在ります、また薮塚民族資料館も在ります。   

 
 
 ホテルふせじま
 
(展望露天風呂と展望大浴場) 
 
 薮塚温泉でもっとも規模の大きい温泉ホテルの「ホテルふせじま」さんは最上階の見晴らしのいい展望大浴場と露天風呂が自慢です、露天から眺める夕日がとても綺麗だそうです。 
 
 (露天から眺める夕日)  (大浴場付属のサウナ)
 
 夕食が美味しいとクチコミに幾つか見られます、朝食は品数豊富なバイキングです。お部屋は清潔感があり純和風で統一されています。更に従業員の接客の良さがクチコミで高い評価をうけています。
 
 (純和風のお部屋)  (朝食バイキング)

       
温泉神社 
       
   
 薮塚温泉街の外れの温泉神社は薮塚温泉の発祥地で、この地の岩山の割れ目から温泉が湧き出ていたと云います、ある時、馬が飛来して泣叫ぶと温泉は冷泉に変わってしまったそうです、里人は困り果てていましたが温泉神社脇に祀られている薬師如来を崇拝する古老の夢枕に薬師如来が立ち、(この冷泉を温めて入浴すると病が治り、長寿を得られる)と古老に伝えました、その話を聞いた行基上人は旅の道すがら全国に薮塚温泉の伝説を流布したそうです。   
   
(温泉神社脇の薬師如来堂)   

 
         
北山古墳   
         
   
 薮塚温泉街の北方向の山頂に位地する北山古墳は直径約22mの円墳です、この辺りの古墳の中で最高地に造られた墳丘で2段構築と成っています。   
   
 この古墳は少し変わった造り方をしています、通常古墳は堀を造り、その堀の内側に掘った土を盛って築造するのですが北山古墳の場合、山の山頂を削り落として1段目を造り、そこへ玄室を掘って玄室天井石を載せ、その上に土を盛って2段目を構築しています、山頂を削って古墳を構築するやり方は他にもありますが更にその上に土を盛る築造方法はあまり例の無い事です。   
   
 玄室に使用されている石はこの付近で産出される薮塚石(凝灰岩)です。   

 
         
石切場   
         
   
 北山古墳の300m西側には薮塚石の採掘場跡である「石切場」が残っています、薮塚石は凝灰岩で加工し易く建物の土台など建築資材に良く使われました、本格的採掘は明治以降の事で大正期には東武鉄道が「石切場」を吸収合併しています。 
 石切場は高さが30m程ありなかなか豪快です。
 
   
 
 薮塚石は火に強く釜戸などにも使われています、しかしその欠点は水に弱く割れ目が多く小石などが幾つも内部に混ざっていました、その為に他の凝灰岩の産地よりも安くされ最終的には昭和30年頃に閉山となっています。 
 
   
 最盛期には350人程の人夫が此処で働いていたと云います。  

 
         
三日月村   
         
   
 (表関所)  (だんご屋)  
         
 薮塚温泉街に一度戻りそこから三日月村へ行ってみました、三日月村は1972年(昭和47年)にヒットした時代劇「木枯らし門次郎」を記念して建てられた江戸時代をテーマにしたテーマパークです。
 まずは表門から入り表関所で入場料を払います、表関所の直ぐ近くに「だんご屋」が在り焼まんじゅう、うどん、そば、麦般若(所謂ビール)などが飲食できます、休憩所としても利用できてその際にはお茶を御馳走してもらえます。 
 
   
(木枯らし門次郎記念館、かかわりーな)  (再現された木枯らし門次郎の生家)   
         
 だんご屋の隣が「木枯らし門次郎記念館、かかわりーな」でその奥には別料金のアトラクション「からくり屋敷、不思議土蔵、怪異現洞(洞窟探検)」などが在ります、「かかわりーな」の付近には江戸時代の農家をイメージした「木枯らし門次郎の生家」が再現されています。   
   
(旅籠屋)  (そば屋)   
         
 「門次郎の生家」の正面には江戸時代の旅館「旅籠」が再現されています、そこから更に進むと江戸時代の宿場をイメージして「そば屋、居酒屋、茶屋」などが営業しています、これら飲食店、土産店などの支払いは関所で現金と江戸期の小銭(寛永通宝)を交換して小銭で支払います。   
   
(茶屋)   (居酒屋)  

 
         
反町薬師寺(反町館跡)   
         
   
(反町薬師寺)  (反町館堀跡)   
         
 ここからは薮塚温泉周辺(太田市内)の史跡を見てみましょう、太田市新田反町町の反町薬師寺は新田義貞の居館でした、現状、反町薬師寺の周囲を当時の堀跡がぐるりと囲んでいます、この辺り(太田市内)は新田庄と称して清和源氏新田氏の所領であり新田義貞に関連した寺院、遺構が幾つも点在しています。   

 
         
太田金山城   
         
   
 東武伊勢崎線太田駅から歩いて50分程の山の山頂部に中世の城郭「太田金山城」が在ります、関東の城郭としては珍しく総石垣造りの要害で新田義貞の末裔、岩松家純により1469年(文明元年)に築城されました、現状は山頂部の郭群や井戸などが当時使われていた石を組んで再現された状態になっています。  
   

 
         
太田天神山古墳   
         
   
 東武伊勢崎線太田駅から国道2号線を東方向へ1km程歩いた所に東日本最大規模の古墳「太田天神山古墳」が築造されています、太田天神山古墳群の一角をなす全長210mの巨大前方後円墳です、5世紀中頃に関東で最大勢力を有した豪族「上毛野氏」の墓と云われています、二重の堀を構え三段構築で全面に葺き石が施された豪華な墳丘でした。  
 

 
      
 
 
       
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