関東、温泉と旅行記 | 霞ヶ浦、土浦、古河方面 | |||
(古河城南側) | ||||
古河城は輪郭式の中心部に対して南北は連郭式の縄張となっています、此れは中世の築城形式である輪郭式と近世の築城形式の連格式の組み合わせで中央の連格式の縄張は古河公方時代の築城であり南北に増設された郭は1590年(天正18年)に入城した小笠原秀政と1602年(慶長7年)に入城した松平康長と更に1619年(元和5年)に入城した奥平忠昌により拡張されました。 | ||||
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本郭 | ||||
中央に位置する本郭は南北130m、東西70m程あり東面に3基の二層櫓が設けられ北側には三層の天守が置かれていました、外周は水堀と成っています。 | ||||
(北側の三層天守と東側の3基の二層櫓、手前から弓櫓、巽櫓、菱櫓) | ||||
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二ノ郭 | ||||
(本丸御門の馬出) | ||||
ニノ郭は本郭の西に位置する郭で本丸との出入り口である本丸御門との間には堀で囲まれた馬出が在りました。 | ||||
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本郭東側の帯郭と頼政郭 | ||||
(本郭東の帯郭、頼政郭と枡型) | ||||
ニノ郭の南側の小口を出ると枡型が在り枡型の外側は頼政郭が囲んでいます、その頼政郭は本郭の東の帯郭へと通じてその帯郭は本郭東を廻り込む形で北側の三ノ郭へと通じています、また帯郭の外側の堀は幅200m程の沼となっていました。 | ||||
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辰崎郭と西の帯郭 | ||||
(辰崎郭、西の帯郭) | ||||
頼政郭の南側は古河城南端の辰崎郭で頼政郭から横矢、鉄砲が仕掛られる造りになっています、その辰崎郭から西の帯郭へ通じる土橋が在りその土橋先は搦め手口になっています。 西の帯郭は頼政郭、ニノ郭、三ノ郭の西側に長く設けられその帯郭の土塁は更に西側沿いを流れる渡良瀬川の堤防を兼用しています。 |
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三ノ郭 | ||||
本郭とニノ郭の北側が三ノ郭です、ニノ郭から三ノ郭へ出る小口には馬出が設けられその馬出と土橋に対して天守から強力な横矢がかけられる様になっています。 | ||||
(ニノ郭、三ノ郭間の小口、土橋、馬出、 三ノ郭北側の乾門と三ノ郭御門) | ||||
三ノ郭北側には桜町郭へ抜ける乾門と三ノ郭御門があります、乾門側は直ぐ脇に二層櫓が設けられ土橋に対して横矢がかけられる仕掛で更に土橋は屈曲し直接的な乾門に対する侵入を防ぐ形になっています、しかし三ノ郭御門は直線状の土橋と特に横矢などの防備は在りません。 | ||||
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