(古河城北側)
桜町郭
三ノ郭の北側は桜町郭で字の如く現在の桜町に存在していた郭です、古河城最大面積の郭で家臣団の屋敷群など在りました、また東側の諏訪郭へ抜ける御成門の脇には獅子ヶ崎と呼ばれる水濠に突起した土塁があり土橋に向けて弓、鉄砲が放てる仕掛になっています。
(獅子ヶ崎)
諏訪郭
(諏訪郭内の古河歴史博物館)
桜町郭の東側は出丸である諏訪郭が設けられていました、城外へ通じる小口が在り現在一部の堀が残っています、また諏訪郭には現状古河歴史博物館が建てられてまいす。
(諏訪郭の堀)
古河歴史博物館の向かい側には江戸時代の古河藩の蘭学者である鷹見泉石の屋敷を記念館とした鷹見泉石記念館が在ります。
(鷹見泉石記念館)
観音寺郭
(神宮寺)
観音寺郭は桜町郭の北側で大手口がその北側に開かれていました、この観音寺郭は1602年(慶長7年)に城主となった松平康長により構築された郭でそれ以前は現在の横山町にある神宮寺の前身「心城院」が建立されていました、心城院は元々鎌倉に在り1455年(享徳4年)鎌倉公方であった足利成氏の古河退去に伴い住職「良宥上人」が成氏の守護本尊「十一面観音菩薩」を守り古河に移ったと云われています。
(大手口、百間堀)
観音寺郭の東側の堀は百間堀と呼ばれ此処もまた松平康長によって構築されました。
渡良瀬川
(渡良瀬川と船着場址)
渡良瀬川は古河城の西端の堀であり交易水路でもありました、江戸期に利根川流路の変更で渡良瀬川から利根川を通り太平洋へと直接舟で出られる様になり渡良瀬川は廻船の水路として大いに利用されていました。
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