(古河宿) | ||||||||||||||||||||
中田宿から鎌倉街道中道、旧奥州道は古河宿へと向かいます、古河宿は古河城の城下として発展した町で江戸末期の人口は4000人程、家屋1100軒、旅館は大小31軒在り旧日光、奥州道の主要な宿場町でした、将軍の日光社参の際には岩槻、宇都宮と同様に将軍の宿所と定められていました。 | ||||||||||||||||||||
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旧日光街道との合流地点 | ||||||||||||||||||||
新道(旧奥州道、鎌倉街道中道)を北上して古河市街へ向かう途中県道261号線が合流します、この県道261号線が旧日光街道で此処は旧奥州道、鎌倉街道中道と旧日光街道の合流点と成ります、江戸期この付近の道筋は並木道で当時数ある街道の並木道の中で最も景観の良い道筋と賞賛されていました。 街道筋は此処より先古河宿台町に入ります。 |
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古河宿町人町 | ||||||||||||||||||||
旧日光街道、旧奥州街道は古河宿へ入ります、古河宿の町人町は街道沿いの町並みを「通り町」その両脇の町を脇町と称していました、江戸期の通り町には旅館、茶屋、商家が建ち並び現在中央町の元肴町は当時の通り町の面影を再現した商店街と成っています。 | ||||||||||||||||||||
(元肴町商店街) | ||||||||||||||||||||
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古河城 | ||||||||||||||||||||
(古河城主郭) | ||||||||||||||||||||
古河宿は古河城の城下町で城は西の水濠である渡良瀬川と宿場の間に位地しています、古河城は平安末期に下川辺氏が居館として築き1454年(享徳3年)享徳の乱の翌年に鎌倉公方足利成氏は古河へ退去して古河御所(古河公方館)を築き古河城を拡張改築しました、古河御所を政務の拠点にして古河城を防衛の為の要害としたのです、当時の縄張は輪郭式で大凡主郭周辺にあたります、江戸期に成ると小笠原氏が入城し城下の整備及び城の更なる改築が行われ中央の輪郭式縄張の南北に連郭式の郭が増設されました。 | ||||||||||||||||||||
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諏訪郭跡と鷹見泉石記念館 | ||||||||||||||||||||
(諏訪郭掘跡) | ||||||||||||||||||||
元肴町の商店街西方向に江戸期古河藩の家老で蘭学者の鷹見泉石の屋敷を改築した鷹見泉記念館と古河歴史博物館が在ります、現在の記念館と博物館の在る位地は在城当時諏訪郭で古河城の出丸の役割をなしていました、博物館の噴水池は当時の水濠跡です。 | ||||||||||||||||||||
(鷹見泉石記念館) | ||||||||||||||||||||
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古河宿本陣跡 | ||||||||||||||||||||
本町2丁目の交差点を渡り足利銀行の脇に古河宿本陣跡の碑が立っています、古河宿は本陣1、脇本陣1で本陣の通りを隔てた向かい側は商品、荷物の管理、輸送をまかなう問屋場が在りその脇には高札場が立っていました、大凡この辺りが宿の中心であったのでしょう。 | ||||||||||||||||||||
(問屋場、高札場) | ||||||||||||||||||||
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鍵の手の街路地 | ||||||||||||||||||||
(西方向へ曲がる奥州、日光街道筋) | ||||||||||||||||||||
本陣跡の碑から200m程北上した次の交差点で旧奥州、日光街道は西へ曲り更に北方向へ屈曲して鍵の手の路地と成っていました、鎌倉街道中道は一応ここまででこの先旧奥州道と旧日光街道は宇都宮まで同じ道筋です。 | ||||||||||||||||||||
西方向へ曲がる路地沿いには古河城の大手口が開かれていました。 | ||||||||||||||||||||
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神宮寺 | ||||||||||||||||||||
西方向へ曲がると直ぐに神宮寺の参道が見えてきます、神宮寺は元はは鎌倉に在寺していまいしたが1455年(享徳4年)の足利成氏の古河退去に伴い古河城観音寺郭に移り心城寺と号します、その後江戸期の城下整備に際してこの地に移転して神宮寺と改名しました、古河市内には鎌倉に在していた寺で成氏をしたい古河退去に乗じて古河へ移転した寺社が多数在ります。 また神宮寺の隣は脇本陣が隣接していたと云います。 |
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横町 | ||||||||||||||||||||
(横町柳通り) | ||||||||||||||||||||
江戸時代のはじめ西方向へ曲がる曲り角から先を横町と呼び更に北方向への曲り角から上を野木町(現在の柳通り)と呼んでいましたが後に両町共に横町で町名が統一されます、横町(旧野木町)の北端には本成寺が在り大凡この辺りまでが古河宿であった様です。 | ||||||||||||||||||||
(横町本成寺) | ||||||||||||||||||||
本成寺は古河城北の赤門の寺と呼ばれていました、当初神宮寺と同じく鎌倉に在った寺院でしたが鎌倉から常陸猿島郡へと移され江戸期に此処下総古河へと移転してきました。 | ||||||||||||||||||||
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鎌倉街道中道 | ||||||||||||||||||||
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(日光街道、奥州街道) | ||||||||||||||||||||
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