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                       和戸~幸手宿



              

                                (杉戸町永福寺の施餓鬼)

 岩槻から先白岡町で旧鎌倉街道は日光御成道と分かれ杉戸町和戸でまた合流し幸手へとのびていました、杉戸町和戸は旧鎌倉街道の古利根川河岸の宿であり現在も旧鎌倉街道時代の遺構、史跡が幾つか在り当時の面影をとどめています。



                               古利根川と和戸宿

                   

 古利根川の万願寺橋(現在の高野橋)を渡ると和戸宿に入ります、中世万願寺橋付近には旧鎌倉街道の渡し場があり和戸宿はその渡し場の宿でした。



                                   古利根川

                   

 古利根川は江戸期のはじめ頃まで利根川の本流で水量も今より多かったのですが1594年(文禄3年)から行われた利根川東遷事業により利根川本流は渡良瀬川につなげられました、それ以前中世の頃は元荒川と合流して江戸湾に注いでたのです。



                              宿内を抜ける旧街道筋

                   





                                 高野山全長寺

                    

 和戸宿内の旧街道筋に全長寺と云う古寺が在ります、幸手城主一色直朝の意を受け弟の直春が一色氏の菩提を弔う為に建立しました、一色氏は足利氏の氏族で家紋は足利氏と同じ丸に二つ引の紋です。



                                    永福寺

                    

 全長寺から旧街道筋を北西方向に進むと永福寺が在ります、8世紀はじめ行基によって開山されたと伝えられ第五十一世の日尊が父の罪業消滅を願い施餓鬼を行いそれが今に至っています、毎年8月22日、23日に行われる施餓鬼は関東三大施餓鬼の一つに数えられ大いに賑わっています。

 (施餓鬼 せがき)仏教で言う死後に餓鬼の境涯(飢え苦しむ境涯)に落ちた者に施しを行う行事。



                            施餓鬼の日の永福寺の様子 



 出店などが立ち並び賑わっています、出店の中には古着や農機具などを売る店もあり中世の市を思わせる様子です、また施餓鬼には池にどじょうを放ち供養するそうです。



                                西行法師見返り松 

                     
 
 永福寺の並びに西行法師見返り松と呼ばれる松が在ります、西行法師は23才の時に武士の身分でしたが妻子を捨て出家します、1186年(文治2年)69才の時に奥州藤原氏の同族であった法師は東大寺再建の寄付を藤原氏に願う為奥州への旅に出ます、途中法師はこの地で激しい風雪に倒れ土地の人に救われ此処で静養します、静養中に法師はこの松をこよなく愛したとされ和戸宿を去る時この松を振り返ったと伝えられています。


                             日光御成道との合流地点



                           (日光御成道と合流地点に建つ道標)

                    更に街道筋を進むと日光御成道と旧鎌倉街道筋は合流します。



                              大落古利根川治水碑

                   

 御成道との合流地点に大落古利根川治水の碑が在ります、利根川東還事業により利根川本流から切り離された流路(旧本流、古利根川)は大落古利根川と呼ばれ農業用の排水路として使用されました、またこの付近には鎌倉期に築かれた旧利根川の堤防が存在していました。



                                    幸手宿

                   

  東武日光線幸手駅前の商店街は旧幸手宿でした、この辺りで日光御成道(旧鎌倉街道筋)は旧奥州街道(旧日光街道)と合流します。


                       旧奥州街道(旧日光街道)との合流地点

                   

 幸手宿に入る辺りで日光御成道と旧奥州街道(旧日光街道)が合流していました、旧奥州街道(旧日光街道)は千住、草加、越谷、粕壁を経由して幸手で御成道と合流し宇都宮で旧日光街道筋が分岐していたのです。



                              宿内を抜ける街道筋

    

         現在宿内を抜ける街道沿いには旧街道時代を思わせる古い商家の家々が点在しています。
 




                                   正福寺

                   

 宿内の街道筋を進むと正福寺参道前で突き当たり東方向へ正福寺をそれるように通されています、1783年(天明3年)浅間山の噴火によりこの辺りに灰が降り積もり大飢饉と成ったのです、時に幸手の富める有志21人が集い金品を出し合い難民救済にあたったとされ正福寺にはその顕彰碑が建てられました。



                           (正福寺と正福寺参道前の街道筋)


                           正福寺参道前の一里塚址

     

                   正福寺参道前には旧日光街道時代の一里塚の址が在ります。


鎌倉街道中道

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