関東最大の軍閥,、平一揆を編制させその頂点に立ち鎌倉府の膝元相模守護職にまで上り詰めた河越氏の経済力はいかなるものだったのでしょうか?その財源は主に田畑、荘園の経営で河越荘を中心に広範囲な領地を治めて牧(馬の生産)にも力を入れていました、その経済力は他の武士団より抜きに出て豊かであり物質てきにも恵まれていました。
館の出土品から中世において河越氏の生活状況を見てみましょう。
太刀
中世の武士にとって刀とは必需品でありました、当時の日本刀は軽くて大変切れ味がよく所謂名刀と呼ばれる物は国内にとどまらず大陸でも評価され、遠く中国などにも輸出されていました。
渡来銭
宋銭、明銭などの大陸からの渡来銭は日本国内で大量に発見されています、中世経済において国内には通貨が無かったため世界通貨である中国銭が日本国内での標準通貨として大陸から持ち込まれました、河越館跡からも多くの中国銭が出土され河越氏が中世流通経済社会に積極的に乗り出していた事を証明しています。
青磁
南宋、元、明代の大陸からの磁器は日本国内で珍重され数多く輸入されました、此処河越館跡からも発見されています、西国経由で運ばれ館付近で売り買いされたと考えられます、これ以外にも中国製の絹製品、毛皮製品なども売り買いされていました、これら高価な渡来製品を多数購入する事ができた河越氏は関東有数の豊かさを誇った武士団だったのです。
天目茶碗
中世の頃、武士達の間で茶の湯を楽しむ習慣があり値打ちの高い茶器は財宝の様に大切にされていました。又室町期に措いて河越庄では狭山茶の原型である河越茶が生産され、河越氏の所領は良質の茶葉の産地でもありました。
以上、河越氏は室町期の流通経済へ積極的に乗り出し、高価な品々を多数購入する事のできる関東有数の経済力を誇った武士団でした、その豊かさは河越氏の館そのものに現れ300m四方の広大な面積のその館は強大な軍事組織平一揆のリーダーで鎌倉府の膝元相模国の守護職まで上り詰めた河越氏の象徴でもあります。
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