関東、温泉と旅行記  佐倉、千葉市方面      
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 佐倉城  
         
         
   
         
佐倉城CG、写真1佐倉城CG、写真2  
         
 築城年代 16世紀後半頃  
         
 佐倉城は東方向4kmの本佐倉城の馬果加系の千葉氏である邦胤により16世紀後半頃に築城されました、1590年(天正18年)の小田原北条氏の滅亡後に徳川家の一族、家臣達がこの地を統治していましたがその頃には大きな改築は行われず本格的な改築は1610年(慶長15年)に徳川家の家臣「土井利勝」によるものです。  

 
         
 本佐倉城  
         
 千葉城(亥鼻城)を本拠地とする千葉氏宗家は1455年(享徳3年)に勃発した享徳の乱の時に原氏に後押される馬加系千葉氏に攻められ武蔵国へと退去します、此れにより馬加千葉氏は下総国での覇権をにぎり武蔵国に退去した千葉氏宗家は赤塚城、志村城を本拠地として武蔵千葉氏となり千葉家は二分されます、その後1484年(文明16年)に千葉孝胤により本佐倉城が築城され千葉氏はこの本佐倉城を拠点としました。  
   
 (本佐倉城址と本佐倉城堀切)  

 
         
 佐倉城の築城  
         
 佐倉城が築城されたのは大凡16世紀後半頃です、当初本佐倉城主「千葉親胤」の命により佐倉城の建設が開始されましたが親胤の暗殺により中止されます、その後「千葉邦胤」時代に工事再開されましたが邦胤が暗殺され工事がまたも中止になります、しかし何時しか工事が行われ未完ではありましたが佐倉城が築城されます、、この時代本佐倉城を「佐倉城」と呼び現在の佐倉城を「鹿島の城」と称していました。  

 
         
 徳川家江戸入府後の佐倉城  
         
 小田原北条氏が滅亡するとその配下にあった千葉氏も没落して下総国一帯は徳川家の家臣、親族の管理下となります、その頃佐倉城は活用される事無く徳川家の家臣達は本佐倉城を拠点としていました、その後1610年(慶長15年)徳川家康の命で土井利勝により佐倉城の築城が行なわれ佐倉藩が成立します、当初土井利勝が城主を勤め1622(寛永10年)に利勝が下総古河に移転した後は城主が幾度も入れ替わりましたが1746年(延享3年)堀田正亮が入城し幕末まで堀田氏が佐倉藩主を歴代で勤めました、明治以降の佐倉城は廃藩置県の為に廃城と成り帝国陸軍の駐屯地が城址に置かれます。  

 
         
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