領土の繁栄と安泰は領主なら誰でも願う事であり、その為の手段として商業の活性化、信仰の推進、地場産業の発展と各領主達は様々な努力をしていました。
三田氏の所領奥多摩は古代より杣保と呼ばれ良質の杉、ヒノキの産地でした。関東管領上杉氏の重臣三田氏は青梅、奥多摩、高麗郡、入間郡と所領を広げてその軍団数は80余騎に及ぶ大豪族へ成長し、杣保からの木材の産出とウルシの生産により豊かな経済力を貯えていました。三田氏の最盛期は16世紀初め頃の三田氏宗、政定父子の時代で2人は杣保から得た財力を領土繁栄を願い寺社仏閣の再建と構築へと費やしたのです、三田氏により開基された寺は鎌倉、京都の様々な様式を取り入れ文化的にも価値の高いもので当時の三田氏の豊かさを表しています。又氏宗、政定父子は武人でもあり歌や風流を愛する文化人でもありました。
将門誓いの梅(青梅)は青梅の地名の由来と成ったと言われています。
妙光院
三田氏の本拠地勝沼城の東端に在る寺です。
塩船観音
17000本のツツジが咲く塩船観音は天平年間、行基により再建されました。三田氏宗により千手観音、功徳天が修復され、三田政定により仁王門が修理されています。
千手観音堂(本堂)
国の重要文化財に指定されています。
仁王門、薬師堂
仁王門も又、文化財に指定されています。
海禅寺
辛垣城の麓に在するこの寺は三田綱秀の時代に三田氏の菩提寺で寺内に綱秀の首塚と三田氏の供養塔があります。
領地の安泰と繁栄を願う三田氏宗、政定父子は人々の集う寺社の保護に努め、京都、鎌倉の仏教文化を郷土に取り込み、その夢を託したのです。